池田文庫の本棚放浪記【第6回】~南座~
南座が3年弱の改修工事を経て開場しました。11月から始まった顔見世興行は「南座発祥四百年南座新開場記念」と銘うたれています。この400という数字に驚かれた方もいるかもしれません。
南座の歴史は、いつも歌舞伎の起源とともに語られます。歌舞伎の起源は1603年、京都に現れた出雲の阿国によって演じられたものとされます。以降、四条河原でさかんに興行が行われ、元和年間(1615~1624)に四条鴨川東側に7つの櫓(やぐら)が官許されることになります。その櫓の1つが現在の南座が建っている場所にありました。これが南座のルーツです。
芝居小屋が林立する四条通りを想像してみて下さい。さぞや賑やかで心浮きたつ風景だったことでしょう。
しかし、大火などの理由でさらにその数を減らし、明治に入る頃には、2つ。さらに明治年間中に一方がなくなり、御存じのとおり、残ったのは南座ただ1つとなりました。こうした歴史が、南座が日本最古の劇場といわれる所以です。
南座と呼ばれるようになるのは明治中頃からです。それ以前のこの南側の芝居の役者絵、芝居番付、絵看板等の歌舞伎資料も、池田文庫は数多く所蔵しています。これらは阪急文化アーカイブズに目録を収録しており、一部は画像も見られます。
下は、筋書、いわゆる公演プログラム。やはり南座が改築のために長らく休場し、1929(昭和4)年11月末に新装開場したときのものです。表紙に描かれた櫓が誇らしげですね。
筋書は、時代によって体裁や内容は変わりますが、配役、あらすじ、解説などが載っています。池田文庫ではおもに大正から平成にかけて、400件弱の南座の筋書を所蔵しています。
100年ほどの間に発行されたこれら筋書を見渡すと、今では大名跡を継がれている役者さんの初々しい姿に出会うこともあれば、意外なお顔を見かけることも。
上は1953(昭和28)年12月の筋書から転載したものですが、出演メンバーの中に「市川雷蔵」の名前が見えます。
八世市川雷蔵は日本映画黄金期の映画スターとしてのイメージが強いですが、スタートは歌舞伎役者からでした。南座へも前名「市川莚蔵」時代からたびたび出演し、この公演時は22才。大映と契約し映画界へ転身するのはこの半年後です。以後、舞台への出演はめったになくなりますが、活躍の場を映画にうつしても、それまでの経験が彼の芝居の土台になっていたことは言うまでもありません。筋書に点々と残る歌舞伎俳優としての足跡に、今なお根強い人気の理由が隠れているかもしれません。
さて、筋書の目録は蔵書検索で検索できます。
「南座」で検索しますと逐次刊行物の検索結果の中に「南座 歌舞伎公演」「南座」がでてきます。これは親タイトルです。これをさらにクリックすると各公演の目録の一覧がでてきます。
歌舞伎公演は「南座 歌舞伎公演」、
松竹新喜劇や新派、新国劇など歌舞伎以外の公演は「南座」にぶらさがっています。
もし思い出の公演があれば、その筋書が池田文庫にあるかどうか、試しに探してみてください。
(司書H)