阪急文化財団ブログ

「べっぴんさん」と阪急百貨店

現在も大好評放送中の、連続テレビ小説「べっぴんさん」。ファミリアを創業した4人の女性のうち、坂野惇子さんをヒロインにしたドラマです。

ツイッターの方でも「べっぴんさん」について色々とつぶやいているのですが、このドラマでは阪急百貨店をモデルにした「大急百貨店」と、当時の社長清水雅氏をモデルにした、伊武雅刀さん演じる「大島社長」が登場します。

いよいよ今週の「べっぴんさん」で、「大急百貨店」が登場しましたね!坂東営業部で見ていたカードに印刷されていた建物は、実際に当時の阪急百貨店の写真を使っているようにも見えました。これから社長や担当者の人とどんな話をして、百貨店で取り扱うことになるのか楽しみですね(*´ω`*)

— 阪急文化財団【公式】 (@Hankyu_Culture_) 2016年11月28日

清水雅氏は、一三翁の秘書とし外遊にも随行するなどした人物で、一三翁より様々な薫陶を受けたことでも知られています。

中でも印象的なエピソードは外遊から戻ってくる航海中の船上において、一三翁は食べたカレーの味に感動し、その作り方を習ってくるように求めます。暑いインド洋の船上で、キッチンに押しかけてそのおいしい作り方などを探ったと言われています。

おいしいと評判だった阪急百貨店大食堂のカレーライスには、こういった清水氏の苦労や努力なども生かされています。

そんな社長とのかかわりがドラマで描かれるとのことで毎朝楽しみにみているのですが、嫌味な担当さんがいたり、周囲の売り場の人たちもどこか冷ややかだったりと、初めての大きな商いに戸惑いを隠せない主人公達ですが、徐々に商売人としての自覚が出てきているようですよね。

ファミリアさんの東京出店エピソードとかも描かれますよね、きっと。(東京出店ならば、数寄屋橋阪急の話が出てくるはず)

去年放送されたドラマ「経世済民の男 小林一三」で阪急百貨店外観として使われていた建物が大急百貨店として登場していてそういった繋がりも楽しいです。

今後、大島社長はじめ、大急百貨店とどのような関わりが描かれるのかも含めて楽しみです!

(学芸員A)

 

 

 

芝居小屋「呉服座」

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月曜日の休みを利用して愛知県犬山市にある明治村に行ってきました。明治村の中には近代に建てられた貴重な建築物が移転され保存公開されています。

この中に、池田に元々あった芝居小屋「呉服座」も移築されています。呉服座は江戸時代以来の伝統建築の名残を留めていて、元々は明治の初め頃、池田の戎神社の近くに建てられていたそうです。この時は「戎座」と呼ばれていていましたが、明治25年(1892)に西本町猪名川の川岸に移り、その時に「呉服座」と名を改めたと言われています。

写真は現在の呉服座の跡地です。この辺りに建っていました。国道176号線の呉服橋を池田側に渡ってすぐの川沿いの道を南に20メートル程度下がった辺りにあります。今はこんな風に碑が建てられているのみです。奥の方に阪急電車の高架が見えるのがわかりますでしょうか。

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ここでは地方巡業の歌舞伎や、壮士芝居、新派、落語、講談、漫才等様々なものが演じられていたようです。

明治村のHPにある呉服座の説明には、次の様に書かれています。
構造は木造二階建杉皮葺で、舞台、客席部分には大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして、小屋の入口にしている。正面の高い切妻には太鼓櫓を突き出し、入口下屋の軒下には絵看板を掲げている。正面の壁は黒漆喰塗で、腰には和風の下見板が建て込まれている。出入口の扉は、裏面は和風の舞良戸であるが、表面には洋風の枠飾り等を施しており、目新しさを感じさせる。 奈落は舞台の袖から降りて、廻り舞台の下を通り抜け、花道づたいに入口近くの楽屋の下まで達している。廻り舞台は、円周に沿って取り付けられた車と中心軸とで支えられている。 客席は、平場(平土間)と呼ばれ、桝席に区切られている中央の低い部分と、棧敷と呼ばれる廻りの部分からなる。 このような芝居小屋では、楽屋は舞台の裏手等に設けられるのが普通であるが、この呉服座では入口土間の上にあり、役者は奈落を通って舞台袖に行くようになっている。
DSC_0377 DSC_0378 呉服座は重要文化財指定を受けている建物です。当時の面影を伝える貴重な建築物は、維持管理が非常に大変なのですが、明治村さんで大切に保存公開されています。 移転は昭和46年(1971)、重要文化財指定を受けたのはそれからもう少し後の昭和59年(1984)のことです。池田の街から離れてしまいましたが、かつて池田にあった建物として今後も生き続けてほしいなぁと思いました。 (学芸員A)

2016年度友の会観劇会Ver.2【永楽館歌舞伎ツアー】報告

7おまけ辰鼓楼

今回の観劇会は、阪急観光バスで、兵庫県豊岡市の出石永楽館まで遠出をしました。
暑さも寒さも、日本一、二を競う豊岡市。この日の気温は、最高が9度、夕方には5度・・・。
小雨が降ったりやんだりで、なお一層寒さが身にしみる日でした。

今回は、お芝居だけでなく、普段聞き逃しがちな歌舞伎ならではの「音」にも注目しましょう!ということで、まずは地元の青年会の皆さまが打たれる「おふれ太鼓」を見学しました。
そして開演30分前に演奏される「着到」は、履き物を脱いだり、席への移動で一番賑やかな時ですから、ちょっと聴き取りにくかったかもしれません。

1バス出石到着 2おふれ太鼓
さて、近畿最古の芝居小屋 永楽館の中へ入ると、明治期にタイムスリップしたような温かみのある小屋です。 なによりも、どこから観ても舞台が近い!中村壱太郎丈や上村吉弥丈が通られるたびに、打掛のふきが私の荷物を引きずらないようによけていました。近すぎ・・・。
3館内C 3館内B
そして、いよいよ役者さん全員が初役で挑まれる「信州川中島合戦 -輝虎配膳-」です。 片岡愛之助丈は、品位と威厳のある輝虎が、怒りにワナワナと震えるお姿を、そして、壱太郎丈のお勝は、器用にお琴を弾きながら詫びる健気な嫁を演じられ、吉弥丈の越路は、輝虎が運んだお膳を足蹴にする時、一瞬顔を背けて申し訳ないような表情をされたのが印象的でした。 絵になる場面がいくつもある古典です。 幕が閉まると、「砂切(しゃぎり)」を聴いて幕間へ。 地元の食材ばかりで作られた「葵」さん特製「永楽館歌舞伎観劇弁当」をいただきました。
4お弁当
次は永楽館歌舞伎名物「お目見得口上」。毎年大盛り上がりの口上です。吉弥丈の「ああ上野駅」出石バージョン大熱唱も聴かせていただきました!(永楽館未体験の方は状況がつかめないと思いますが・・・。) 次は水口一夫先生が喜劇を歌舞伎に書き替えられた「春重四海波(はるをかさねてしかいなみ)」。 幕あきから大爆笑で、愛之助丈は、高速で70歳まで歳を重ねた、ちょっと頼りないけどかわいいお爺ちゃん。壱太郎丈は、愛らしい娘さんから、艶のある中年、そして白髪のお婆ちゃん。ご両人が本当に仲睦まじく、大爆笑の後にジワッと温かくなるお芝居でした。 幕が閉まり、「打出し」を聴いた後も客席の拍手は鳴り止まず、歌舞伎としては珍しいカーテンコールがありました。 古典の「輝虎配膳」は往路のバス内で見どころをお話ししていましたが、わかりやすくて笑える「春重四海波」は観てのお楽しみということで、あえて何もお話しせずに観劇。この二本の組合せと名物口上に、参加者の皆さまにはとても楽しんでいただけました。
5豊岡市立美術館
終演後は、各自出石の町を散策。豊岡市立美術館 -伊藤清永記念館-の「歌舞伎衣裳展」などを鑑賞しました。また、ここには永楽館歌舞伎の第一回(2008年)と、第八回(2015)の絵看板も展示されていました。第一回が穂束とよ國氏、第八回はご子息の穂束宣尚氏の作品です。 阪急文化財団でも明治期の絵看板コレクションがあり、とよ國先生には種々ご教示いただいておりました。1点だけですが、とよ國氏のお父様の穂束信勝氏の作品も所蔵しています。 とよ國氏は、永楽館の他にも、南座、松竹座など多くの劇場の絵看板を手掛けられ、2014年に急逝されました。その年から急遽宣尚氏に代わられ、お父様の作風をしっかり継承されています。 お二人の作品が横に並べられたのを、とても感慨深く拝見しました。 最後のお楽しみは、復路のバスで抽選会!愛之助丈のサイン入り番附をプレゼントです。番附の「勧進帳」富樫の写真にサインをしてくださいました。 途中「道の駅 まほろば」でお土産を買い込み、19時過ぎに池田到着。 お芝居好きの方も、今では便利で快適な劇場に慣れていらっしゃると思います。現代人にとって、昔ながらの芝居小屋は少々窮屈で不便なこともありますが、舞台や役者さんとの実際の距離が近いだけでなく、「歌舞伎」が今よりもっと身近な存在であった時代にワープしたようで、もっともっと気軽に歌舞伎を楽しむきっかけとなれば嬉しく思います。そして、役者絵や絵看板など、当財団の所蔵する歌舞伎資料にもご興味が増していただければ、さらに嬉しく思います! 皆さま遠方まで、長時間お疲れ様ございました。 (学芸員T)

綿業会館見学

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11月4日(金)は朝に「旧乾邸」、夕方からは「綿業会館」の見学に行ってきました。「綿業会館」は、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016」に参加させていただきました。

応募者多数だったらしく、当選できて本当によかったです!

この「綿業会館」を設計したのは、渡邊節氏です。そう、旧乾邸と同じ設計者の方になります。個人用に作った建物と、公的な意味合いの強い建物、同じ設計者でも違った風情になっていてとても楽しかったです。

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とても重厚な作りで重々しい雰囲気でした。中央の銅像はこの会館を建てるために多額の寄付をされたという、東洋紡績専務取締役・岡常夫氏です。 この綿業会館は外向きには質実剛健なオフィスビルという感じですが、一歩中に入るととても豪華です。各国の来賓の方をおもてなしすることもあり、部屋ごとに装飾のティストを変えているのも見所です。
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ここでどんな話がされていたんでしょうか。当時に思いをはせながら見学させていただきました。また綿業会館は、昨年NHKのドラマ「経世済民の男 小林一三」のロケ地になっていたので、あの場面で使われていたなぁと思いながら懐かしく見ていました。
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また、3階のお部屋では一三翁の芳名帳も確認できました。見つけた瞬間ニヤニヤしてしまったのは内緒です(笑)
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一三翁の上の方にそうそうたる方々の名前が見えますね。 「天てらす 二百十日も 無事なりき」ですね。 二百十日とは、立春を基準として数える雑節の一つで、だいたい九月一日頃になります。この日は台風が来て天候があれやすいとされていて、そのため「無事」という言葉が使われたのでしょう。実際、一三翁の日記にも九月一日は無事好天気との記述が見られることがあります。 日にちが・・・・・昭和甲辰九月一日と読めるのですが、昭和の甲辰だと亡くなってから後の昭和39年になってしまうので、辰年は合っていて十干を勘違いされてたんでしょうか・・。 ともかくも、一三翁も来られていたことが実感として伝わりとてもうれしかったです。 (学芸員A)

旧乾邸見学会~逸翁も訪れた茶室「不鬼庵」の面影を訪ねて~

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11月4日(金)に、神戸市の東灘区にある「旧乾邸」の見学会に参加してきました。旧乾邸は、阪急神戸線「御影駅」から徒歩10~15分くらいのところにある、とても素敵な洋館です。

この洋館を設計したのは渡邊節氏です。渡邊氏が設計した建物は、他には「旧大阪ビルヂング」「旧日本勧業銀行本店」「綿業会館」などがあります。阪神間モダニズムの建物としても知られており、一度見学してみたかっらので、特別公開に申し込んでみました。

それというのも、この旧乾邸の持ち主であった「乾豊彦氏」と一三翁は事業面だけでなく、茶友としても交流があったからです。乾豊彦氏は若くして乾汽船の社長になった人物です。

名古屋の高橋家から乾家に婿養子に入ったのですが、幼少期から書道、茶道、能楽などに親しんでいた文化人であったことから、一三翁を始めとする財界人との付き合いも活発にされていたのでしょう。

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惜しげもなく財をつぎ込んで建てられたというこの旧乾邸は、細かいディティールにもこだわって作られていて、アイアン装飾が本当に精緻でした。

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雅俗山荘にも共通するこの時代特有の華やかさと重厚さがとても素敵な建物でした。案内してくださった方は地元の方のようで、とてもお詳しかったです。一三翁もこのあたりを実際に歩かれたのかな、と思いながら当時の雰囲気を楽しみました。(実際に洋館に入られたかはわかりませんが)

各部屋に取り付けてあったというインターフォンは写真の様に使用人室で集約して見ることができるようになっています。これでどこの部屋でボタンが押されたのかすぐにわかるわけですね。

さて、一三翁が訪れた茶室「不鬼庵」ですが、残念ながら現存していません。今は写真の通り、茶室の跡があるだけなのです。

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一三翁が『大乗茶道記』にも収載されている昭和22年11月7日「乾山荘不鬼庵新席開き」に詳しく書かれています。

洋館はこの時GHQに接収されていたため、洋館横に建てられていた和館と茶室で持て成されたようです。写真の黒いビニールで囲われている部分に和館が建てられていたとか。

一三翁はこう書いています。

「寄付に通る路地の石段に打水の風情、苔蒸す四辺の風景は数十年の星霜を過ぎしと思うばかり。いとも古りたる数棟の数寄屋普請、寄付、腰掛、手洗所など外壁に沿うて巧みに配置され僅かに五六十坪の地域をお茶室に、広間に、苦心の甲斐あって茶境の別天地、お若い御主人の手腕只驚入るばかり、即ち茫然として寄付の前に立ち遠州公「閑」の一字額を見上げて佇むのみ」

今はない建物の様子がよく伝わってきますよね。1枚目の写真の左横奥に裏門があったので、その辺りから作り込んだそうです。

この時の茶会の内容も実によかったと見え、一三翁は大満足で帰路についた様子がわかります。

阪神大震災にも耐えた旧乾邸。これからも素敵な姿を維持していってくださることを願います。

(学芸員A)