阪急文化財団ブログ

阪急文化研究年報第13号を発行しました

report13.jpg

 学芸員による調査・研究の成果を発表する『阪急文化研究年報』第13号を刊行しました。内容は以下のとおりです。

  • 仙海義之「博物館展示論(二)-「WHAT」何を展示するのか?「HOW」どのように展示するのか?」
  • 宮井肖佳「小林一三の目指した文化ネットワークとその意義(九)-漆工・三砂良哉-」
  • 正木喜勝「阪神急行電鉄の新聞広告(一九二一年~一九二三年一月・完)-西宝線、豊中運動場、宝塚少女歌劇を例として-」
  • 竹田梨紗「連載(十三)逸翁美術館蔵「芦葉会記」(昭和二十八年)」
  • 令和5年度事業報告

 閲覧ご希望の方は池田文庫にお越しいただくか、お近くの公共図書館や大学図書館にお尋ねください。

池田文庫の本棚放浪記【第36回】宝塚キネマ館

 宝塚キネマ館(宝塚映画館)のチラシを、池田文庫内の端末でご覧いただけるようになりました。インターネット上では資料画像を公開していませんが、目録情報は阪急文化アーカイブズで検索できます。

キネマ.jpg

 

 とはいえ、この映画館についてご存知の方は多くないと思いますので、この機会にかつて宝塚に存在した宝塚キネマ館についてご紹介します。

 

 明治44 (1911)年の開場以来、宝塚新温泉は劇場や食堂、図書室など、入浴客が楽しめる娯楽設備をそなえて発展していきました。宝塚大劇場が完成した大正13(1924)7月には、花の道をはさんだ向かい側に遊戯場や動物園、映画館を擁した宝塚ルナパークが開業します。この映画館が宝塚キネマ館のはじまりです。その頃のポスターでは「模範映画劇場」と宣伝されています。

 

 下はその頃の大正時代の上映案内です。

 上映作品の梗概とともに「説明者」や「奏楽」といったサイレント映画時代の映画館ならではの記載がみられます。観客の投書欄からは、地域でこの映画館がどう受け入れてられていたかを垣間見ることができます。

DSC_1046.JPG

『News 宝塚ルナパーク』No.5 (大正13年8月)

 

 宝塚新温泉は、昭和4(1929)年に動物園ルナパークを、6年には植物園を合併し、それぞれを往来しやすく整え、図書館や屋外プールなども新設しながらますます大きくなっていきます。宝塚キネマ館も9年末頃に加わります。下はその頃の上映案内です。宝塚新温泉と映画館のお得な共通券も発売されていたことがわかります。

 

DSC_1047.JPG

『宝塚キネマ館ニュース』(昭和911月)

 

 館内設置の端末で公開されることになった宝塚キネマ館(宝塚映画館)チラシ134点は、そこから少し時を経た昭和1517 (1940-42) 年頃のものを中心としています。この頃には東宝作品を多く上映していました。チラシの裏に婦人用のモンペの仕立て方が載っていたり、名前が宝塚映画館に改められたりと、版面にも戦争の影響が濃くあらわれています。

 

 昭和19(1944)3月には非常措置令により宝塚大劇場が閉鎖され、宝塚歌劇は本拠地・宝塚での公演がストップします。移動隊として各地へ出向いて公演活動が続けるなか、翌205月より宝塚での公演許可が出ます。その場所が宝塚キネマ館でした。このとき名前は「宝塚映画劇場」。昭和2011月には「宝塚小劇場」と改称しますが、127日夜半に焼失します。

 こちらは、7日で中止となった宝塚キネマ館の最後の公演プログラムです。

DSC_1044.JPG

  大正時代から宝塚の地で娯楽を提供してきた宝塚キネマ館の歴史はここで途絶えます。

  なお、宝塚での公演は翌年4月の宝塚大劇場再開を待たねばなりませんでした。

(司書H)

阪急文化アーカイブズ「絵本番付」「絵番付」の画像を公開

 2024年2月より阪急文化アーカイブズにて「絵本番付」255点、「絵番付」39点の画像を公開しました。絵本番付とは、江戸時代に劇場などで販売された小冊子で、お芝居のさまざまな場面が所狭しと描かれています。江戸のものは「絵本番付」、上方のものは「絵尽し」と呼ばれました。「絵尽し」の画像は2023年4月より公開しています。

ehonh20240218.jpg
1. 天保3年(1832)の絵本番付の表紙
2.『天竺徳兵衛韓噺』 の絵本番付(1の中身)

左上に、蝦蟇(ガマガエル)が吐いた煙から登場する天竺徳兵衛(三世尾上菊五郎)が描かれています。「古今珍らしき大仕かけ大道具」とも。

 一方の「絵番付」は一枚摺で、絵がメインの番付です。内容は「絵本番付」や「絵尽し」と似ています。阪急文化財団池田文庫が所蔵する「絵番付」はほとんどが享保年間(1716~1736)の浄瑠璃のものです。

3. 享保16年(1731) の「国性爺かつせん」絵番付

下段に、虎退治をする和藤内が描かれています。



阪急文化アーカイブズでご覧いただくには、以下を選択して検索すると便利です。
・検索カテゴリ:浮世絵・番付
 └詳細検索の分類:番付/絵本 ←「絵本番付」
 └詳細検索の分類:番付/絵番付 ←「絵番付」

hba20240218.jpg
4. 阪急文化アーカイブズ検索画面

阪急文化研究年報第12号を発行しました

ar12.jpg

 学芸員による調査・研究の成果を発表する『阪急文化研究年報』第12号を刊行しました。内容は以下のとおりです。

  • 仙海義之「博物館展示論(一)-「WHAT」何を展示するのか?「HOW」どのように展示するのか?」
  • 宮井肖佳「小林一三の目指した文化ネットワークとその意義(八)-「稲束家日記」から見る池田から生まれた交流」
  • 正木喜勝「阪神急行電鉄の新聞広告(一九一八~一九二〇)」
  • 竹田梨紗「連載(十二)逸翁美術館蔵「芦葉会記」(昭和二十七年)」
  • 令和4年度事業報告

 閲覧ご希望の方は池田文庫にお越しいただくか、お近くの公共図書館や大学図書館にお尋ねください。

池田文庫の本棚放浪記【第35回】阪急沿線情報誌 昭和後期篇 ~『阪急沿線』~

 現在、駅などで配布されている阪急沿線情報誌『TOKK (トック)』。日常的に阪急電車にお乗りの方はきっと目にされたことがあると思います。『TOKK』が誕生したのは19724月。今回ご紹介する『阪急沿線』は、197511月から19903月まで、一時期『TOKK』と並行して発行されていた情報誌です。

 

 『TOKK』は行楽・娯楽情報誌としての性格が強かったため、会社経営の基盤たる"鉄道"について、乗客や沿線住民とコミュケーションを図るPR誌の必要性が叫ばれ、『阪急沿線』は生まれたそうです。*

 『阪急沿線』は19904月に『Linea (リネア)』としてリニューアルし、やがて『TOKK』に吸収されます。現在の『TOKK』の中に『Linea』というコーナーがあるのをご存知でしょうか?『阪急沿線』はこの『Linea』ページのご先祖ということになります。何の気なしに手に取るフリーペーパーにも歴史あり、ですね。

DSC_0899.JPG

 さて、『阪急沿線』、内容をみてみますと、駅や電車関係のニュースが中心です。いくつか記事タイトルを拾ってみましょう。

 

「どんどん伸びるホームの屋根」(19766月号)

「長い電車で輸送力増強」(19772月号)

「高架化工事は各駅で順調に進んでいます」(19835月号)

「阪急電車はすべて冷房車 冷房化100%を達成」(19866月号)

「京都線特急に列車電話を設置」(19876月号)

 

 丹念に読んでいきますと、70年代から80年代にかけて、輸送力増強、駅業務の自動化、駅設備の拡充、高架化がドンドン進み、駅および駅周辺の風景が様変わりしていくのがわかります。

 一方で、車窓クイズ、読者からの電車関係の質問に答えるコーナーや、沿線で趣味やスポーツを楽しんでおられる同好会の活動の紹介などもあり、アットホームな雰囲気もある情報誌です。

 

 『阪急沿線』は、このたび約2,500件の記事索引の作成が完了しました。蔵書検索ページから記事タイトル等を検索でき、どんな記事が何年何月号に載っているかわかるようになりました。後継誌『Linea』の記事索引もすでに作成済です。

 

 調べものや、なつかしい沿線・駅の風景との出会いを楽しんでいただくのにご活用いただけましたら幸いです。

 

*阪急電車PR誌小史. 『阪急沿線』第50, 197912, p. 4

 

(司書H)