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小林一三について

小林一三について

画像:小林一三

小林一三は、1873(明治6)年、現在の山梨県韮崎市に生まれました。「一三」の名は、誕生日1月3日に因みます。19歳の時に慶應義塾を卒業し、三井銀行で本店勤務の後、大阪支店に赴任します。元来、文学青年で小説家志望であった一三ですが、銀行員時代の先輩達との出会いから事業の面白さに目覚めていきました。

1907(明治40)年、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現、阪急宝塚線・箕面線)を創立します。1910(明治43)年運行を開始した電車事業は、沿線の住宅開発を共に行うという独創的なアイデアによって好調なスタートを切りました。

1920(大正9)年には神戸線が開通し、社名も阪神急行電鉄と改め「阪急電車」として親しまれます。一方梅田には、1929(昭和4)年、阪急百貨店(現、阪急うめだ本店)を開業し、洋食をメインとした大食堂は大人気となりました。また、宝塚歌劇や阪急ブレーブス、そして東宝を設立するなど、たくさんの人たちが楽しむ事業を次々に成功させていきました。

一三のユニークな発想から生まれたビジネスモデルは、私鉄経営を始めとする各地の事業者達に影響を与えました。そうした手腕が見込まれて、東京電燈(現、東京電力)の経営を立て直し、1940(昭和15)年には第二次近衛内閣の商工大臣、戦後には戦災復興院総裁に任命されました。

一三個人としても、幅広い著作を遺した文化人としての素顔を持っています。日常の暮らしの中では、趣味の俳句や茶の湯を通じて多くの人々との交流を楽しみました。

多方面に足跡をのこした一三は、1957(昭和32)年、享年84歳で没しました。しかし、お客様への新たな生活と楽しみの提案を第一とする一三の精神は、現在も阪急阪神東宝グループの様々の会社によって受け継がれています。そして一三が創始した数々の社会事業・文化事業は、今もなお社会の中で発展を続けています。

画像:1910年(明治43)最初の「1形」電車
1910(明治43)年 最初の「1形」電車
画像:1929年(昭和4)ターミナルデパート開店
1929(昭和4)年 ターミナルデパート開店
1914年(大正3)宝塚少女歌劇第1回公演「ドンブラコ」
1914(大正3)年 宝塚少女歌劇第1回公演「ドンブラコ」
1934年(昭和9)東京宝塚歌劇場開場
1934(昭和9)年 東京宝塚劇場開場