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掲載記事は随時更新中です。2018年3月までに100名の記事を公開予定です。

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まつなが やすざえもん

松永 安左エ門[1875 - 1971]

松永 安左エ門

「電力の鬼」といわれた財界人。

 1898年、慶應義塾大学を中退し、福澤桃介の紹介で日本銀行に入行。その後1901年、松永安左エ門は、福澤と共同で神戸・大阪で材木商や石炭業を営んだ。鉄道事業に取りかかっていた慶應の先輩、小林一三と係わるのもこの頃からで […]...

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しょうりき まつたろう

正力 松太郎[1885 - 1969]

正力 松太郎

読売新聞社社主。

 野球の興隆に熱意を持った正力松太郎は、1934年、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらが参加する大リーグ選抜チームを招聘し、日本側でも全日本チームを結成した。後、同チームを基礎として大日本東京野球倶楽部(現、読売ジャイア […]...

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ミヤコ ちょうちょう

ミヤコ蝶々[1920 - 2000]

ミヤコ蝶々

上方漫才・喜劇界をリードした、関西を代表するコメディアン。

 1942年に吉本興業入りし、1948年に南都雄二と漫才コンビを結成して夫婦で初舞台。 翌年、秋田實の誘いを受け、大阪でラジオ出演を始める。  1950年、小林一三はモダンな新しい寄席を作ろうと、宝塚新芸座道場を創設。1 […]...

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もりしげ ひさや

森繁 久彌[1913 - 2009]

森繁 久彌

俳優、他。大衆芸能分野で初の文化勲章受章。

 1936年、東京宝塚劇場(現、東宝株式会社)に入社。日本劇場の舞台進行係を振出しに、前年の有楽座開場に組織された東宝劇団などで下積み時代を過した。  大部屋にいた森繁久彌の眼にも「さっぱり意気の上らぬ一座」と映ったらし […]...

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やまだ こうさく

山田 耕筰[1886 - 1965]

山田 耕筰

作曲家、指揮者。文化勲章受章者。

 日本での西洋音楽の普及に功があった山田耕筰。国際的な活動から欧米にも名前を知られたが、また唱歌や校歌の作曲者としてもなじみ深い。大正時代中頃には、宝塚歌劇のオーケストラの指導に、顧問として迎え入れられていた。7年間程、 […]...

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こにし しんえもん ぎょうせい

小西新右衛門業精[1875 - 1947]

小西新右衛門業精

兵庫県伊丹の清酒「白雪」の醸造元、小西家12代。

 阪神地域の名士として既に阪神電鉄の有力株主になっていた小西新右衛門業精は、小林一三が箕面有馬電気軌道の創立に当たり企図した沿線の用地買収にも、地域の発展を重んじて助力を惜しまなかったという。一三もまた小西の恩義に謝し、 […]...

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はせがわ かずお

長谷川 一夫[1908 - 1984]

長谷川 一夫

俳優。国民栄誉賞(追贈)。

 歌舞伎界から松竹に入り、時代劇の二枚目スター「林長二郎」として名を売った。しかし松竹との契約切れに、新しい世界で再出発したいと東宝での映画出演を内諾、初めて小林一三に面会した。この時一三に「映画も事業の進め方次第で、男 […]...

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たかみね ひでこ

高峰 秀子[1924 - 2010]

高峰 秀子

女優、歌手、エッセイスト。

 1949年の『銀座カンカン娘』(製作新東宝、配給東宝)では笠置シヅ子の向こうを張って主題歌も歌い、スクリーンに明るい笑顔を振りまいた。  1929年、松竹蒲田撮影所でデビューしたのは5歳。天才子役スターとして活躍する一 […]...

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おとわ のぶこ

乙羽 信子[1924 - 1994]

乙羽 信子

女優。

 1945年9月、宝塚映画劇場での戦後第1回雪組公演『勘平の死』(作・演出水田茂)では、勘平は春日野八千代、お軽は乙羽信子。異例の大抜擢であった。写真は1946年8月、『歌劇』の表紙に初めて登場した乙羽信子。以降、春日野 […]...

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きし のぶすけ

岸 信介[1896 - 1987]

岸 信介

商工大臣(第24代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任。

 1940年、第二次近衛内閣が組閣され、財界から小林一三が商工大臣として入閣。そしてその次官には、岸信介が前内閣より留任した。その年提出された経済新体制案に対しては、財界人たちから非難の声が上がる。  財界は「重要産業統 […]...

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