阪急文化財団ブログ

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池田文庫の本棚放浪記 【第15回】~闘牛~

 昭和を代表する作家の一人、井上靖の作品に「闘牛」という中編小説があります。

 「闘牛」と聞くと、スペインの闘牛、闘牛士と闘牛の戦いを思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれません。ところが、日本の「闘牛」とは、牛対牛、いわゆる牛相撲を指し、郷土の伝統競技として、現在も日本各地で行われています。

 その一つ、愛媛県宇和島の闘牛を、兵庫県西宮で行おうと奔走する人間たちを描いたのがこの作品です。

 

 

 実は、この闘牛大会のモデルとなったイベントがありました。

終戦からまだ1年半ほどの昭和22(1947)年1月、阪急西宮北口駅近くにあった西宮球場で、実際に行われた南予闘牛大会です。

宇和島の闘牛の阪神初公開の場でもありました。主催は新大阪新聞社。当初2日間の予定でしたが、2日目の午前の部が雨で中止となり、順延して3日間となりました。

宣伝のために、思い切った前奏行事も行われています。

梅田-難波間や神戸市内で、化粧まわしで飾った出場牛のパレードを行ったり、”カルメン”の曲を流すサウンド・トラックを走らせたり、中之島で招待券やビラを仕込んだ花火を打ち上げたり。

大会の盛り上げに、相当な力の入れようです。

 

 

 井上靖がこの大会を訪れたのは、みぞれ降る寒い日だったといいますから、2日目だったのでしょう。

 悪天候のせいで、まばらな観衆。垂れ下がるのぼり。リングでは二頭の牛が角を突き合わせたまま微動だにしない。それを声もなく見おろす観衆・・・。そんな会場風景から、井上は悲哀を感じたといいます。それが、当時の日本が、社会が、日本人が持っていた悲哀に通ずると感じ、このことを書きたいと思ったそうです。

 

 小説の闘牛大会は成功しません。小説では開催予定は3日間。そのうちの2日間が雨で中止という、事実と異なる痛々しい結果で描かれ、なんともやるせない後味をのこします。作者の目指すところに沿うよう、こう描かれなければならなかったのでしょう。

 井上靖は、この作品で芥川賞を受賞しています。

 

 西宮では、球場または球技場で、以降もたびたび闘牛大会が開かれました。一度きりとならなかったのは、小説ほどには、寂しい結果ではなかったことの表れではないでしょうか。井上靖も「実際にはこの闘牛大会は新聞社の事業としては宣伝効果からみても大きい成功をおさめ…(略)」と語っています。

 

 池田文庫所蔵の、阪急沿線のイベントポスターの中に、昭和36年から昭和53年にかけて行われた、5度の闘牛大会の宣伝ポスター6枚を確認できます。(あいにく小説のモデルとなった初回のものはありません。)

 

 見ると、内容も初回から進化しています。やはり闘牛で有名な鹿児島県徳之島の牛と、宇和島牛との対戦を企画するなどの趣向が凝らされていることもわかります。

 

阪急文化アーカイブズで、「闘牛 西宮」と検索すると、これらの画像がご覧いただけますので、ぜひお試しください。

 

参考資料:    毎日新聞 昭和25年2月2日 井上靖「『闘牛』について」

      夕刊新大阪 昭和22年1月刊の各号

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記 【第14回】~ナイト・カブキ~

 東京オリンピックまで一年を切りました。来年はいったいどんなお祭り騒ぎになるのでしょう。押し寄せる訪日客を当て込んで、各界では様々な計画が進行していることと思います。

 さて、先の1964年東京オリンピック時はどうだったのか。今回は、1964年10月の東京演劇界の様子をちょっと覗いてみたいと思います。

 

 まずは、歌舞伎座。

 昼夜の歌舞伎興行に加えて、「ナイト・カブキ」と称した深夜興行が行われました。なんと開演は夜の9時40分で終演は0時。オリンピック関係者を招待した貸切公演もおこなわれました。選手達も歌舞伎を楽しんだんですね。

 

 

 上は池田文庫が所蔵するナイト・カブキの公演プログラムです。日本語のほか、英語、フランス語の解説も併記して、訪日客を意識していることがよくわかります。

 演目は、第1部に「暫」,「楼門五三桐」,文楽の「櫓のお七」。第2部は赤坂芸妓による踊り「舞妓」。歌舞伎以外の伝統芸能も織り交ぜた構成でした。

 大向うのかけ声に、外国人のお客さんはびっくりした様子だったといいます。

 

 

 東京宝塚劇場は宝塚歌劇公演。専科・月組による「ユンタ」と「日本の旋律」です。

 1本目の「ユンタ」は当時宝塚歌劇団内にあった郷土芸能研究会(当時・日本郷土芸能研究会)が沖縄県八重山群島を取材し、この地方の芸能を舞台化したものです。ユンタとはこの地方に伝わる作業歌のことをいいます。2本目の「日本の旋律」はタイトルの通り、古今の日本の歌やメロディーを集めて構成したもの。

 どちらも日本独自の音楽や踊りで魅せる演目だったのは、外国人の観客が増えることを見込んでのことかもしれませんが、これを観て、日本の音楽の多様性に目を開いた日本人観客も少なくなかったのではないでしょうか。

 

 ちなみに東京宝塚劇場でも深夜興行がありました。長谷川一夫製作・構成・演出・主演の『東宝歌舞伎おどり』です。生憎、この公演プログラムは池田文庫にはありませんが、9時半から10時50分と、こちらもかなり遅い時間だったよう。歌舞伎座といい、劇場関係者はさぞや忙しい日々だったろうと思います。

 

 さて、来年のオリンピック開催時も、東京の演劇界は外国人のお客様を意識せずにはいられないと思います。

 50年の間に、外国人への日本のアピールポイントも変化してきました。その変化が、劇場でかけられる演目にも表れるでしょうか。来年の演劇界のライン・アップに注目です。

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第13回】~キネマ旬報~

 『キネマ旬報』が創刊100周年を迎えました。創刊は1919(大正8)年。数ある映画雑誌の中で、『キネマ旬報』がその代表格のように見られるのは、まさにこの歴史の長さからくると思います。

 

 雑誌は定期的に発刊し、書店に並ぶものも常に新しい号へ入れ替わるわけですから、読者は現代人と想定するのが通常です。『キネマ旬報』は、それに加え、後世へ残る記録として、後々の活用も意識されているように感じます。

 

 そのことは、毎年2月下旬号と3月下旬号が、一年を振り返る内容で、ちょっとした映画年鑑のような装いになることにも表れています。特に2月下旬号に収録されるリスト類や索引は、調べたいことに関する記事を探すのに、しばしば活用しています。

 また、この号ではキネマ旬報ベスト・テンが発表されます。この賞の発表を楽しみにしている映画ファンは、結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

 さて、100年、そして旬刊という発行ペースから、これまでに刊行された冊数は2600を超えます。実は池田文庫、この大部分を所蔵しているんです。

 

 左は池田文庫が原本で所蔵するものの中で、最も古い大正9(1920)年2月11日号。(これ以前は復刻版を所蔵しています。)

 そして右は1923年11月21日号。9月の関東大震災の被害により、一時期兵庫・西宮に移転していたときに発行されたもの。関西とも縁のある雑誌だったんですね。

 いずれも一色刷り、ページ数も少ないです。

 

 大正の終わり頃から徐々に鮮やかな多色刷の映画広告が入るようになります。(写真はいずれも昭和2年頃のもの)

 

 精密さにおいては現代の印刷物と比ぶべくもないのでしょうが、これはこれで、眺めていて楽しいものです。

 当時から、映画会社はきそって『キネマ旬報』にこうした広告を載せたがったとか。発行部数がふえると、そのぶん損するという話もあったようです。*

 

 大正から令和まで、四時代を生きぬいてきた『キネマ旬報』。映画業界の歴史のみならず、雑誌自身の歩みに注目して、読んでみるのも面白そうです。

 

*岩崎昶「映画ジャーナリズムの責任と反省」(「キネマ旬報」昭和43年7月1日号)

 

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第12回】~鉄道雑誌~

 文系図書館の池田文庫の書庫の一画に、少々異色の存在感を放つ一群があります。

 鉄道雑誌群です。

 池田文庫の閲覧室には「鉄道ピクトリアル」と「鉄道ファン」のごく一部の年代のものが並んでいますが、実はその何倍もの鉄道雑誌が書庫の中にひそんでいます。

 

 

 池田文庫にある鉄道雑誌には、実務者向けと思われるものもありますが、おおかたは鉄道ファンの方々を対象としたものです。

 

 誌名自体は、『鉄道』『レイル』『トレイン』といった語を含んだ、いかにもな名前でどれも似通った印象なのですが、内容にはそれぞれ個性があります。一口に鉄道ファンといっても、こだわりポイントは人それぞれ。多様で深いこだわりをもつ読者にアピールするために、雑誌も分化・深化していったようです。

 

 「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」「レイル・マガシン」「鉄道ダイヤ情報」などは美しいカラー写真が多く掲載されていて、鉄道ファンのもっともポピュラーな層に受け入れられるものと思います。

 より深い鉄道研究・考察へ関心がおよんだ方は「鉄道ピクトリアル」を好まれるかもしれません。

 模型愛好家向けに「鉄道模型趣味」「とれいん」といったものもあります。鉄道愛好文化の奥深さを感じますよね。

 

 探究心の強い読者の期待にこたえんとする雑誌づくりは、やりがいとともに緊張感もありそうです。けれども、その雑誌づくりの強い味方もまた、読者であるよう。どの鉄道雑誌にも読者の投稿をつのる欄が見られます。それに応えて全国の鉄道ニュースや写真を寄せてくる投稿者たちが、まるで特派員のように見えてきます。

 読者(ファン)が雑誌づくりの一端を担う。ここにもファンの心を惹きつけてやまない鉄道雑誌の魅力があるのかもしれません。

 

 池田文庫にある鉄道雑誌は蔵書検索サービスで、検索できます。何の雑誌のどの年代が池田文庫にあるのか、ご興味のある方はぜひ調べてみて下さい。

 

 また、何かの折に、司書が所蔵雑誌の中に阪急電鉄関連の記事を見つけたときには、小さなものでも、随時索引を作成し、何の記事がどの雑誌の何号に載っているのかわかるように努めています。こちらも蔵書検索サービスで検索ができるようになっています。

 

 阪急電車の模型の展示もある今回の逸翁美術館の展覧会にちなみ、試しに「模型」で検索してみましたが、何とも気になる記事たちが出てきますよ。

 もし阪急に関わる調べものをお持ちでしたら、ご参考になるような記事も見つかるかもしれません。ぜひお試しください。

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第11回】~宝塚よりあなたへ~

 ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。今回は、多くの方のゴールデンウィークの思い出に残る場所、宝塚ファミリーランドに関する資料をご紹介します。

 

 宝塚ファミリーランドの歴史は、明治44(1911)年、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)による宝塚新温泉の開業からはじまります。

 平成15(2003)年の閉園まで、温泉、劇場、動・植物園、遊園地などの施設をあつめ、さまざまな世代の人が楽しめる娯楽地として人気を博しました。

 

 宝塚新温泉内には図書館もあったんです。それが池田文庫の前身、宝塚文芸図書館です。

 建物はのちに宝塚歌劇の歴史の展示を行う宝塚歌劇記念館としても活用されましたので、そちらへは足を踏み入れたことがあるかもしれません。

 

 上はその文芸図書館が定期的に発行していた『宝塚文芸図書館月報』(昭和11(1936)年~昭和19(1944)年刊を所蔵)。

 演劇に関する記事や所蔵資料の案内が主ですが、時には新温泉内の他の施設の紹介や、昆虫館・植物園の利用客の関心に応えるために昆虫・植物に関する専門的な記事なども載せていました。

 

 より多くの方が「これぞ私の知るファミリーランド!」と感じるのは、むしろこちらの方かもしれません。『宝塚よりあなたへ』 (のちに『To you from Takarazuka』)、季節ごとに発行されていた宝塚ファミリーランドの情報誌です。池田文庫では昭和53(1978)年から平成5(1993)年のものを所蔵しています。

 次々行われる催し物や遊戯機の宣伝。大人形館や恐竜館なども紹介されています。

 動物園からは飼育レポート。ホワイトタイガーがはじめて動物園にやって来たとき、赤ちゃんが誕生したときは、誌面もおおいに盛り上がっています。

 四季折々の花だよりは、植物園から。夏には、池に人が乗れるほどの大きさのオオオニハスの葉が浮かんでいたことは覚えていますか?秋の菊花展も毎年の恒例でした。

 読むほどに、在りし日の宝塚ファミリーランドへと誘われてゆきます。これから生まれてくる令和の人たちと、宝塚にこんな風景があったことについて、いつか語り合ってみたいですね。

 

 

 折しも現在逸翁美術館で行われている展示は、「阪急沿線むかし図絵 大正・昭和のゆめとまち」。池田文庫開館70周年を記念し、当館所蔵品が展示されています。宝塚ファミリーランドに関する展示もあります。

 改元にあたり、にわかに旧時代への愛着が増したという方は、たくさんいらっしゃると思います。そんな方々にも、ぜひご覧頂きたい展覧会です。

 そして、美術館をご観覧のあとは、どうぞ池田文庫へもお立ち寄りください。阪急沿線にまつわる図書・雑誌類を手にとって、眠っていた記憶との再会を楽しんでください。

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第10回】~宝塚おとめ~

 暖かく過ごしやすい季節になってきました。一方で、春は入学や入社など、人によっては環境が大きく変わる変化のときでもあります。期待と不安で落ち着かない日々を過ごしておられる方も多いのではないでしょうか。

 もしかすると、タカラジェンヌたちにとっても同じことがいえるのかもしれません。毎年3月に宝塚音楽学校を卒業した新しい顔ぶれが加わり、宝塚歌劇団の中にも変化が生じる時期だからです。そして、新入組にとっては初舞台の、5月頃行われる宝塚大劇場公演に先駆けて発売されるのが、ファンにはお馴染み『宝塚おとめ』です。

 この本には、その年度に宝塚歌劇団に在籍する全生徒の写真とプロフィールがまとめられています。

 観劇がより充実したものになるよう事前に目を通すという人もいれば、観終わった後に心惹かれた出演者をチェックする人もいるでしょう。観劇の友として、長きにわたり愛されてきた生徒名鑑なのです。

 

 さて、そんな『宝塚おとめ』ですが、はじめて発行されたのはいつ頃なのでしょうか。

 

 こちらが、最も古い『宝塚おとめ』です。昭和12 (1937)年12月に刊行されました。はじめは『宝塚グラフ』(現在の『宝塚GRAPH』)の臨時増刊号でした。この時は写真と名前のみですが、写真のフレームやレイアウトに工夫が凝らしてあり、目を楽しませてくれます。

 その後、年1回ペースで刊行されていきますが、昭和15年1月の刊行をもって、一旦ストップします。この昭和15年は、戦争の影響で機関誌『歌劇』や『宝塚グラフ』も休刊を余儀なくされた年でした。次の『宝塚おとめ』の刊行が見送られたのも、やむをえない状況だったといえます。

 

 終戦後は、宝塚歌劇団も休止していた機能を徐々に回復させていきました。宝塚大劇場公演の再開に、機関誌の復刊、日本劇場における東京公演の再開・・・そんな復調ムードのなか、7年ぶりに刊行されたのが下の『宝塚おとめ』 (昭和22年5月刊)です。

 

 きっと手にした人々は、宝塚歌劇を存分に楽しむことができる時代の到来を実感したことと思います。この時から現在まで、途絶えることなく刊行を重ねています。

 

 池田文庫では、昔のものから新しいものまで、歴代の『宝塚おとめ』をまとめて通覧できます。かつての観劇の友は、今度は調査の友として活用されています。

 笑顔のタカラジェンヌたちが並ぶページの向こうにあるのは、宝塚歌劇団の年表上には現れてこない膨大な個人史の気配。

 人生のひとときを宝塚の舞台に賭した彼女たち一人一人のドラマを想像すると、宝塚歌劇の歴史がいっそう深遠なものに感じられてきます。

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第9回】~ロンドン劇場客席総覧~

 現在、逸翁美術館で開催されている『西洋ちょこっとアンティーク』展も後期に入りました。こちらは小林一三が初めての海外視察旅行(1935-1936年)で手に入れた美術工芸品に着目した展覧会です。

 実は池田文庫の所蔵本の中にも、その旅行中に手に入れたのではないかと思われるガイドブックや観劇プログラムが散見されます。今回は、その中でもロンドン滞在時のものから一部ご紹介します。

 

 

 右は、マダム・タッソー蝋人形館(Madame Tussauds)のガイドブック(1935年)。

 著名人の蝋人形の展示するところとして、現在もロンドンの観光名所ですね。小林一三は人形館を訪れた日の日記に、こういうものを宝塚でも考えてみたいと呟いています。

 

 

 

 

 しかし、やはりロンドンといえば、世界に誇る演劇・ミュージカルの発信地、劇場街ではないでしょうか。小林一三もロンドンで様々な劇場に意欲的に足を運んでいます。

 

 

 上の本『The Keith Prowse plan book of all London theatres』は、ロンドンの劇場の客席図を一堂に集めたものです。この一冊で当時のロンドン中の客席が一覧できるのです。

 表紙上部に「1935 1936」と表示がありますので、その頃の資料、そして内容の性質や来歴から、小林一三が旅行中に入手したものと推測しています。

 これは、ドルーリー・レーン劇場(Theatre Royal Drury Lane)の客席図。100館近くもの劇場が、このように掲載されています。繰っても繰ってもひたすら客席図が続きます。

 そして毎ページ念を押すように“YOU WANT BEST SEATS—WE HAVE THEM”。

 予約する時には席の位置を確認したいですよね。つまりこの本は、発行元であるKeith Prowseに問い合わせて予約するときに使うもので、舞台ファンたちの実用に供するため刊行されていたようです。

 今日はこの劇場、つぎはあの劇場と、身軽に河岸を変え演劇を楽しむロンドンっ子の姿が目に浮かぶようです。

 掲載されている座席図のなかには、消失してしまった劇場のものも含まれ、当時の劇場事情がうかがえる興味深い資料となっています。

 

 一方、小林一三が旅行中に入手したものではないのですが、池田文庫の前身・宝塚文芸図書館が1930年代にロンドンで発行された雑誌をいくつか収集しており、それらが池田文庫に引き継がれています。

 『The illustrated London news』や演劇雑誌『Theatre world』などに掲載されている公演情報や劇評、舞台写真などは、1930年代のイギリス演劇界の空気、小林一三が歩いたロンドンを教えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 小林一三がドルーリー・レーン劇場で観賞したパントマイム

”Jack and the beanstalk” (ジャックと豆の木)『Theatre world』誌より

 

 

 

(司書H)

 

※ご紹介した資料の一部に特殊資料が含まれています。閲覧をご希望の方はお問い合わせください。

 

池田文庫の本棚放浪記【第8回】~小林一三日記~

 平成も残り数ヶ月。新時代の幕開けとなる今年から、日記を始めようと考えた方も多いのではないでしょうか。

 阪急電鉄の創業者・小林一三もまた、日記をつけた人でした。その日記を『小林一三日記』全3巻 (阪急電鉄, 1991年刊) で読むことができます。

 小林一三のほかの著書と違うところは、日記であるために他人が読むことを想定して書いていなかったろうということです。

 誰かに文章で何かを伝える時、わかりやすいように情報を取捨選択しますよね。他人に向けた文章は、「これを伝えたい」「こう読んでもらいたい」意識のもと、書き手によってダイジェストされたものです。この日記には、そこで削がれてしまうような細かなことも詰まっています。

 調べたいことに関わる情報を求めて部分的に読んでも役立つ本ですが、一日一日を丹念になぞる読み方もまた面白いと思います。

 小林一三はさまざまな顔をもつ人物です。鉄道・百貨店など人々の暮らしを支える事業から演劇・映画などの娯楽事業まで手がけたのですから、実業家としての顔だけでも多様です。加えて茶人・美術品収集家としての顔、当然家庭人としての顔ももっています。

 日記にはそのそれぞれが入れかわり現れますので、各分野の情報が混在し、複雑です。日常の細々したことや、社会を観察し思いめぐらせたことなども書きつけられています。

 けれどもそれらを読むにつれ、小林一三の思考にもぐり、その過ごした日々を追体験しているかのような心地になってきます。

 生身の小林一三に触れ、親しみを感じる人もいるかもしれません。

 小林一三を知りたいと思う人が、その人なりの小林一三像をつかむ助けになってくれる本だと思います。

 

 日記の書かれた時期については、次のとおりです。

第1巻

・当用日記 (明治31, 33, 35-37, 39年) 25歳~33歳

・日々是好日 (昭和10年9月-11年4月) 62歳~63歳

・朝鮮・中国北部を覗く (昭和12年5-6月) 64歳

・訪伊使節日記, 蘭印使節日記 (昭和15年8月-11月) 67歳

第2巻

・我国の運命 (昭和20年1月-昭和23年12月) 72歳~75歳

第3巻

・我国の運命(昭和23年12月-昭和32年1月) 75歳~84歳

 

 現在、逸翁美術館で展覧会「西洋ちょこっとアンティーク -1935年、小林一三の欧米旅行記から-」が開催されています。

 副題の「欧米旅行記」とは第1巻に収められている「日々是好日」のこと。風景描写も豊富で、紀行文としても楽しめます。

 展覧会をご覧になる前後に、ぜひ池田文庫に立ち寄って手にとってみて下さい。

 販売 (分売不可) も行っています。

 

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第7回】~アメリカ博覧会~

 昨年の印象的な出来事の一つに2025年の大阪万博開催決定がありました。その頃、関西がどうなっているのか、日本で3度目となる万博がどんなものになるのか、楽しみに見守っていきたいですね。

 さて、万国博覧会ほどの規模ではないにしても、博覧会と名のついたイベントはこれまで数多く開催されてきました。阪急沿線においても然り。中でも、今から70年近く前に、西宮市で開かれた博覧会に行かれた方、覚えているという方はいらっしゃるでしょうか。

昭和25(1950)年3月18日から6月11日にかけて、朝日新聞社主催でアメリカ博覧会が開催されました。会場は阪急西宮球場とその外園。現在でいう阪急西宮北口駅すぐの阪急西宮ガーデンズが建っている場所とその周辺ですね。

 

 上は、博覧会の全容を教えてくれる写真集「アメリカ博覧会」(朝日新聞社 1950年11月刊)です。色鮮やかなカバー絵は、神戸の風景をテーマにした創作活動で知られる川西英(1894-1965)によるもの。第二会場の入口をモチーフにしています。このカバーの下には、第一会場入口の表紙絵が隠れています。本の中には、風景写真、会場マップ、展示内容など、この博覧会の詳細な記録が載っています。

 

 アメリカ博とはどんな博覧会だったのでしょう。

 当時の阪急沿線案内パンフレットに載っていた見開き広告が、博覧会の展示の中で主だったものを要約していました。

 大まかに言うと、第一会場はホワイトハウス、本館、テレヴィジョン館等の展示館で、歴史から政治、経済、産業、文化、芸術まで、アメリカについて全般的に学ぶ空間。第二会場は、アメリカ名所の野外大パノラマが目玉の遊覧空間といったところでしょうか。

 前述の写真集には、第二会場の野外パノラマの写真がたくさん載っています。ニューヨークやシカゴの大都会風景からナイアガラ、ヨセミテ国立公園などの自然景勝まで、アメリカの名所中の名所の模造に挑んでいます。写真を見るかぎりは、なかなかの出来栄え。これらを巡るとアメリカ旅行気分を味わえそうです。

 

 当時の日本はまだGHQの占領下にありましたから、アメリカという国に国民の関心が集まるのも、もっともだったといえるでしょう。主催の新聞社の宣伝力も相まって、アメリカ博は大いに盛り上がったようです。当初は5月末に終わる予定でしたが、6月11日まで日延べし、入場者は86日間でおよそ200万人にのぼりました。

 

 池田文庫ではこの時の宣伝ポスターも数点所蔵しています。阪急文化アーカイブズで「アメリカ博」検索するとでてきます。インターネットで画像を公開していないものも、池田文庫にお越しいただくと、館内の端末で見ることができますよ。

 

 大阪万博が開かれるまでの暫しの間、池田文庫で70年前の博覧会を振り返ってみませんか。

 

(司書H)

『阪急文化研究年報』第7号を刊行しました

年報7号表紙

『阪急文化研究年報』第7号を刊行しました。

これは学芸員が日頃取り組んでいる調査・研究の成果を発表するものです。

収録内容は次のとおりです。

 

 

・宮井肖佳

「小林一三の目指した文化ネットワークとその意義(六)-書簡から見る五島慶太との交流-」

・仙海義之

「連載(三)「十巻抄」一〇巻(重要文化財)第五巻・第六巻」

・竹田梨紗

「連載(七)逸翁美術館蔵「芦葉会記」(昭和二十二年)」

・正木喜勝

「一九七〇年日本万国博覧会に対する阪急の取り組みとお祭り広場の催し物資料について」

・平成29年度事業報告

 

 

閲覧ご希望の方は池田文庫にお越しいただくか、お近くの公共図書館や大学図書館にお尋ねください。

 

(学芸員Y)