一三ネットワークの100人
年間を通じ小林一三に縁のある
著名な人物100名を、政治、経済、文芸など
さまざまな分野からピックアップしてご紹介します。
100/100名
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松永 安左エ門[1875 - 1971]

「電力の鬼」といわれた財界人。
1898年、慶應義塾大学を中退し、福澤桃介の紹介で日本銀行に入行。その後1901年、松永安左エ門は、福澤と共同で神戸・大阪で材木商や石炭業を営んだ。鉄道事業に取りかかっていた慶應の先輩、小林一三と係[…]...
続きを読む正力 松太郎[1885 - 1969]

読売新聞社社主。
野球の興隆に熱意を持った正力松太郎は、1934年、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらが参加する大リーグ選抜チームを招聘し、日本側でも全日本チームを結成した。後、同チームを基礎として大日本東京野球倶楽[…]...
続きを読むミヤコ蝶々[1920 - 2000]

上方漫才・喜劇界をリードした、関西を代表するコメディアン。
1942年に吉本興業入りし、1948年に南都雄二と漫才コンビを結成して夫婦で初舞台。 翌年、秋田實の誘いを受け、大阪でラジオ出演を始める。 1950年、小林一三はモダンな新しい寄席を作ろ[…]...
続きを読む森繁 久彌[1913 - 2009]

俳優、他。大衆芸能分野で初の文化勲章受章。
1936年、東京宝塚劇場(現、東宝株式会社)に入社。日本劇場の舞台進行係を振出しに、前年の有楽座開場に組織された東宝劇団などで下積み時代を過した。 大部屋にいた森繁久彌の眼にも「さっぱり[…]...
続きを読む山田 耕筰[1886 - 1965]

作曲家、指揮者。文化勲章受章者。
日本での西洋音楽の普及に功があった山田耕筰。国際的な活動から欧米にも名前を知られたが、また唱歌や校歌の作曲者としてもなじみ深い。大正時代中頃には、宝塚歌劇のオーケストラの指導に、顧問として迎え入れら[…]...
続きを読む小西新右衛門業精[1875 - 1947]

兵庫県伊丹の清酒「白雪」の醸造元、小西家12代。
阪神地域の名士として既に阪神電鉄の有力株主になっていた小西新右衛門業精は、小林一三が箕面有馬電気軌道の創立に当たり企図した沿線の用地買収にも、地域の発展を重んじて助力を惜しまなかったという。一三もま[…]...
続きを読む長谷川 一夫[1908 - 1984]

俳優。国民栄誉賞(追贈)。
歌舞伎界から松竹に入り、時代劇の二枚目スター「林長二郎」として名を売った。しかし松竹との契約切れに、新しい世界で再出発したいと東宝での映画出演を内諾、初めて小林一三に面会した。この時一三に「映画も事[…]...
続きを読む高峰 秀子[1924 - 2010]

女優、歌手、エッセイスト。
1949年の『銀座カンカン娘』(製作新東宝、配給東宝)では笠置シヅ子の向こうを張って主題歌も歌い、スクリーンに明るい笑顔を振りまいた。 1929年、松竹蒲田撮影所でデビューしたのは5歳。[…]...
続きを読む大谷 尊由[1886 - 1939]

浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家。
大谷尊由は、浄土真宗本願寺派の第22世法主となった大谷光瑞(鏡如)の弟。兄の宗政を助けて、本願寺執行長や本願寺派護持会財団理事長、また管長事務取扱(管長代理)などを歴任した。教団の改革を進めて、大谷[…]...
続きを読む大谷 竹次郎[1877 - 1969]

兄の白井松次郎と共に、松竹を創業。
1905年、大阪で松竹(まつたけ)合名会社を設立(松次郎が社長)。1910年、東京に進出してからは、松次郎が関西、竹次郎が関東を受け持った。1914年には歌舞伎座の興行権をも獲得する。1920年には[…]...
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