阪急文化財団ブログ

綿業会館見学

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11月4日(金)は朝に「旧乾邸」、夕方からは「綿業会館」の見学に行ってきました。「綿業会館」は、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016」に参加させていただきました。

応募者多数だったらしく、当選できて本当によかったです!

この「綿業会館」を設計したのは、渡邊節氏です。そう、旧乾邸と同じ設計者の方になります。個人用に作った建物と、公的な意味合いの強い建物、同じ設計者でも違った風情になっていてとても楽しかったです。

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とても重厚な作りで重々しい雰囲気でした。中央の銅像はこの会館を建てるために多額の寄付をされたという、東洋紡績専務取締役・岡常夫氏です。 この綿業会館は外向きには質実剛健なオフィスビルという感じですが、一歩中に入るととても豪華です。各国の来賓の方をおもてなしすることもあり、部屋ごとに装飾のティストを変えているのも見所です。
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ここでどんな話がされていたんでしょうか。当時に思いをはせながら見学させていただきました。また綿業会館は、昨年NHKのドラマ「経世済民の男 小林一三」のロケ地になっていたので、あの場面で使われていたなぁと思いながら懐かしく見ていました。
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また、3階のお部屋では一三翁の芳名帳も確認できました。見つけた瞬間ニヤニヤしてしまったのは内緒です(笑)
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一三翁の上の方にそうそうたる方々の名前が見えますね。 「天てらす 二百十日も 無事なりき」ですね。 二百十日とは、立春を基準として数える雑節の一つで、だいたい九月一日頃になります。この日は台風が来て天候があれやすいとされていて、そのため「無事」という言葉が使われたのでしょう。実際、一三翁の日記にも九月一日は無事好天気との記述が見られることがあります。 日にちが・・・・・昭和甲辰九月一日と読めるのですが、昭和の甲辰だと亡くなってから後の昭和39年になってしまうので、辰年は合っていて十干を勘違いされてたんでしょうか・・。 ともかくも、一三翁も来られていたことが実感として伝わりとてもうれしかったです。 (学芸員A)