小林一三年譜
年代 | 年齢 | 出来事 |
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1873年(明治6年) | 出生 | 1月3日、山梨県北巨摩郡韮崎町(現、韮崎市)に生まれ、その月日により一三と名付けられた。 |
1888年(明治21年) | 15歳 | 慶應義塾に入学。 |
1890年(明治23年) | 17歳 | 小説『練絲痕』を「山梨日日新聞」に連載。 |
1892年(明治25年) | 19歳 | 慶應義塾を卒業する。 |
1893年(明治26年) | 20歳 | 「上毛新聞」に小説『お花団子』を連載。新聞社への入社が実現せず三井銀行に入行する。 |
1907年(明治40年) | 34歳 | 三井銀行を退職、箕面有馬電気軌道株式会社創立の追加発起人となる。 専務取締役に就任。 |
1908年(明治41年) | 35歳 | 豊能郡池田町(現・池田市)に転居。 |
1914年(大正3年) | 41歳 | 宝塚少女歌劇初公演。 |
1927年(昭和2年) | 54歳 | 3月10日 阪神急行電鉄取締役社長に就任。 |
1928年(昭和3年) | 55歳 | 3月、東京電燈副社長に就任(1933年社長)。 |
1929年(昭和4年) | 56歳 | 阪急百貨店竣工、開業。 |
1932年(昭和7年) | 59歳 | 株式会社東京宝塚劇場創立、取締役社長に就任。 |
1935年(昭和10年) | 62歳 | 欧米視察の旅につく。 |
1936年(昭和11年) | 63歳 | 池田五月山山麓に自邸「雅俗山荘」を竣工する。 |
1937年(昭和12年) | 64歳 | 釜山に渡り、朝鮮半島、中国北部を視察。 |
1940年(昭和15年) | 67歳 | 日伊修交、並びに両国間商議のため、遣伊経済使節を仰せ付けられる。 帰国後、商工大臣に就任。蘭領印度特派使節に任命される。 |
1945年(昭和20年) | 72歳 | 幣原内閣の国務大臣兼戦災復興院総裁に就任 |
1951年(昭和26年) | 78歳 | 公職追放解除。東宝社長就任。 |
1952年(昭和27年) | 79歳 | 欧米映画視察。 |
1956年(昭和31年) | 83歳 | 新宿・梅田コマスタジアム設立。11月池田市名誉市民に推される。 |
1957年(昭和32年) | 84歳 | 1月25日、急性心臓性喘息のため急逝する。 |