書写した僧侶の信仰の深さが伺える、仏教教典。風雅を楽しんだ貴族たちの感性が伝わる、手鏡・色紙などの古筆。これらは美しい筆跡で目を楽しませてくれると同時に、宗教史・文化史的にも貴重な資料です。
経典
古筆
一具のものである「般若理趣経」(大東急記念文庫蔵)の奥書から、後白河法皇が企て、某禅尼に描かせていた絵巻の制作が、 法皇の崩御で中止となり、供養のために未完成の絵巻に経文を写したと知られる。 よって経文と絵画とは無関係。濃彩で描き起こす下絵として大方の人物は目鼻を省略しており、「目無経」とも呼ばれる。

寛和2年(986)6月9日の内裏歌合は、花山天皇の主催で、歌人は11人、藤原道長や藤原公任など、著名な人々が参加した。 20番20題で、本作に1番から20番までの全部が収められる。四季のすべてにわたり、具体的な季題と人事題とを組み合わせた、最初の歌合であった。 行事の趣向より、文芸(和歌)尊重の傾向が見られる。

「継色紙」は『古今和歌集』『万葉集』などの古歌を集めた私撰集の断簡。 もとは粘葉装の冊子本で、見開きの料紙2枚に、余白を十分にとって歌1首を巧みに散らし書きする。 軸装の姿が、色紙を並べて継いだように見えるところからの呼称。前書に「五節の舞姫を詠める」とあり、『古今和歌集』所収の、僧正遍昭の歌と知られる。

多数の古筆切を集めた「手鑑」は、古筆鑑定の鑑賞基準、手引きとして珍重された。 本作は、数寄者として知られる益田鈍翁が、蒐集の古筆切24葉を選び、田中親美が帖に仕立てたもの。 紀貫之の「吹くかぜとたにの水としなかりせば みやまがくれのはなを見ましや」(『古今和歌集』巻二)に因み、鈍翁が「谷水帖」と命名した。
