阪急文化財団ブログ

池田文庫の本棚放浪記【第22回】~変化するタカラヅカのプログラム~

 公演中、劇場内で販売される宝塚歌劇のプログラム。観劇前にはワクワク感を高め、観劇後には余韻にひたらせてくれる存在です。

 100余年の歳月のなか、宝塚歌劇のプログラムも変化して、現在のかたちになりました。では、昔のタカラヅカのプログラムって、一体どんなものだったんでしょう。

 今回は、池田文庫所蔵の宝塚での本公演プログラムから、その移りかわりをご覧いただきたいと思います。

 

大正時代のプログラム

 下は、現在池田文庫の所蔵する、宝塚で行われた公演プログラムのなかで最も古いもの。初公演からおよそ2年後、大正5(1916)年の7月から8月にかけてパラダイス劇場で行われた公演のプログラムです。この公演については、配役ちがいで2種類のこっています。

 演目と配役だけを載せたとてもシンプルなものです。これでは、演目がどんな内容だったかまではわかりません。それには脚本集という別の発行物があり、上演された舞台の内容は、そちらで振り返ることができました。池田文庫では、脚本集も大正時代のものから所蔵しています。

 

昭和初期から戦後にかけて

 プログラムは、演目と配役が1枚ではおさまらないときは小冊子になり、昭和初期には小冊子が常態となります。まだ大きさはずいぶん小さくて、手のひらサイズです。

 昭和7年頃より、表紙デザインにタカラジェンヌの写真も使われはじめます。このままデザインの主役は、イラストレーションから写真に移るかと思いきや、時代はまもなく戦争へ。戦時下の興行の苦難はデザインにも影響し、表紙はまたイラストレーションにもどります。図柄も和風、または時局に則した堅苦しいものになってしまいます。

 

昭和5~10年頃(左) 昭和21年4月(右)

 戦後、昭和21(1946)年4月公演で宝塚大劇場は再開しました。上の右側の写真がその時のプログラムです。

 戦後の混乱期ですから、表紙は戦前の方が華やかにみえます。ですが、内容は、演目と配役だけでなく、出演者の写真も載るようになりました。イラストレーションより写真を多用する時代に本格的に入っていきます。

 

プログラムが2種類? そして現在へ

 じきに、脚本を掲載した冊子の発行も再開します。そちらもやがて「プログラム」と称するように。

 下はどちらも同じ公演のときに発行されたものです。このように、しばらくは演目・配役を載せたシンプルなタイプと、脚本入りのものが並行していました。やがて脚本入りの方だけが残ります。

 プログラムに脚本が掲載されるかたちは、平成10年頃までつづきます。

 

昭和48(1973)年2月

 

 現在のプログラムには脚本は掲載されていません。

 脚本入りの頃と違いは、写真がふえ、さらにカラフルに華やかになったこと。舞台となった国・時代の歴史的背景のうんちく、出演者の言葉などにもページを割いて、より深い鑑賞へ導いてくれるものになったことです。

 脚本の掲載はなくなってしまったことを、残念に思われる方もいらっしゃるでしょう。

 そんな方は舞台写真集の「Le CINQ (ル・サンク)」を手にとってみてください。

 大正時代の脚本集からつづく脚本掲載は、現在こちらが引き継いでいます。宝塚大劇場公演の華やかなステージ写真とともに、芝居物の脚本(一部除く)は、こちらで読むことができます。

 

プログラム(左)   舞台写真集「Le CINQ」(右)

 

 

[司書H]