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池田文庫の本棚放浪記【第9回】~ロンドン劇場客席総覧~

 現在、逸翁美術館で開催されている『西洋ちょこっとアンティーク』展も後期に入りました。こちらは小林一三が初めての海外視察旅行(1935-1936年)で手に入れた美術工芸品に着目した展覧会です。

 実は池田文庫の所蔵本の中にも、その旅行中に手に入れたのではないかと思われるガイドブックや観劇プログラムが散見されます。今回は、その中でもロンドン滞在時のものから一部ご紹介します。

 

 

 右は、マダム・タッソー蝋人形館(Madame Tussauds)のガイドブック(1935年)。

 著名人の蝋人形の展示するところとして、現在もロンドンの観光名所ですね。小林一三は人形館を訪れた日の日記に、こういうものを宝塚でも考えてみたいと呟いています。

 

 

 

 

 しかし、やはりロンドンといえば、世界に誇る演劇・ミュージカルの発信地、劇場街ではないでしょうか。小林一三もロンドンで様々な劇場に意欲的に足を運んでいます。

 

 

 上の本『The Keith Prowse plan book of all London theatres』は、ロンドンの劇場の客席図を一堂に集めたものです。この一冊で当時のロンドン中の客席が一覧できるのです。

 表紙上部に「1935 1936」と表示がありますので、その頃の資料、そして内容の性質や来歴から、小林一三が旅行中に入手したものと推測しています。

 これは、ドルーリー・レーン劇場(Theatre Royal Drury Lane)の客席図。100館近くもの劇場が、このように掲載されています。繰っても繰ってもひたすら客席図が続きます。

 そして毎ページ念を押すように“YOU WANT BEST SEATS—WE HAVE THEM”。

 予約する時には席の位置を確認したいですよね。つまりこの本は、発行元であるKeith Prowseに問い合わせて予約するときに使うもので、舞台ファンたちの実用に供するため刊行されていたようです。

 今日はこの劇場、つぎはあの劇場と、身軽に河岸を変え演劇を楽しむロンドンっ子の姿が目に浮かぶようです。

 掲載されている座席図のなかには、消失してしまった劇場のものも含まれ、当時の劇場事情がうかがえる興味深い資料となっています。

 

 一方、小林一三が旅行中に入手したものではないのですが、池田文庫の前身・宝塚文芸図書館が1930年代にロンドンで発行された雑誌をいくつか収集しており、それらが池田文庫に引き継がれています。

 『The illustrated London news』や演劇雑誌『Theatre world』などに掲載されている公演情報や劇評、舞台写真などは、1930年代のイギリス演劇界の空気、小林一三が歩いたロンドンを教えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 小林一三がドルーリー・レーン劇場で観賞したパントマイム

”Jack and the beanstalk” (ジャックと豆の木)『Theatre world』誌より

 

 

 

(司書H)

 

※ご紹介した資料の一部に特殊資料が含まれています。閲覧をご希望の方はお問い合わせください。

 

池田文庫の本棚放浪記【第8回】~小林一三日記~

 平成も残り数ヶ月。新時代の幕開けとなる今年から、日記を始めようと考えた方も多いのではないでしょうか。

 阪急電鉄の創業者・小林一三もまた、日記をつけた人でした。その日記を『小林一三日記』全3巻 (阪急電鉄, 1991年刊) で読むことができます。

 小林一三のほかの著書と違うところは、日記であるために他人が読むことを想定して書いていなかったろうということです。

 誰かに文章で何かを伝える時、わかりやすいように情報を取捨選択しますよね。他人に向けた文章は、「これを伝えたい」「こう読んでもらいたい」意識のもと、書き手によってダイジェストされたものです。この日記には、そこで削がれてしまうような細かなことも詰まっています。

 調べたいことに関わる情報を求めて部分的に読んでも役立つ本ですが、一日一日を丹念になぞる読み方もまた面白いと思います。

 小林一三はさまざまな顔をもつ人物です。鉄道・百貨店など人々の暮らしを支える事業から演劇・映画などの娯楽事業まで手がけたのですから、実業家としての顔だけでも多様です。加えて茶人・美術品収集家としての顔、当然家庭人としての顔ももっています。

 日記にはそのそれぞれが入れかわり現れますので、各分野の情報が混在し、複雑です。日常の細々したことや、社会を観察し思いめぐらせたことなども書きつけられています。

 けれどもそれらを読むにつれ、小林一三の思考にもぐり、その過ごした日々を追体験しているかのような心地になってきます。

 生身の小林一三に触れ、親しみを感じる人もいるかもしれません。

 小林一三を知りたいと思う人が、その人なりの小林一三像をつかむ助けになってくれる本だと思います。

 

 日記の書かれた時期については、次のとおりです。

第1巻

・当用日記 (明治31, 33, 35-37, 39年) 25歳~33歳

・日々是好日 (昭和10年9月-11年4月) 62歳~63歳

・朝鮮・中国北部を覗く (昭和12年5-6月) 64歳

・訪伊使節日記, 蘭印使節日記 (昭和15年8月-11月) 67歳

第2巻

・我国の運命 (昭和20年1月-昭和23年12月) 72歳~75歳

第3巻

・我国の運命(昭和23年12月-昭和32年1月) 75歳~84歳

 

 現在、逸翁美術館で展覧会「西洋ちょこっとアンティーク -1935年、小林一三の欧米旅行記から-」が開催されています。

 副題の「欧米旅行記」とは第1巻に収められている「日々是好日」のこと。風景描写も豊富で、紀行文としても楽しめます。

 展覧会をご覧になる前後に、ぜひ池田文庫に立ち寄って手にとってみて下さい。

 販売 (分売不可) も行っています。

 

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第7回】~アメリカ博覧会~

 昨年の印象的な出来事の一つに2025年の大阪万博開催決定がありました。その頃、関西がどうなっているのか、日本で3度目となる万博がどんなものになるのか、楽しみに見守っていきたいですね。

 さて、万国博覧会ほどの規模ではないにしても、博覧会と名のついたイベントはこれまで数多く開催されてきました。阪急沿線においても然り。中でも、今から70年近く前に、西宮市で開かれた博覧会に行かれた方、覚えているという方はいらっしゃるでしょうか。

昭和25(1950)年3月18日から6月11日にかけて、朝日新聞社主催でアメリカ博覧会が開催されました。会場は阪急西宮球場とその外園。現在でいう阪急西宮北口駅すぐの阪急西宮ガーデンズが建っている場所とその周辺ですね。

 

 上は、博覧会の全容を教えてくれる写真集「アメリカ博覧会」(朝日新聞社 1950年11月刊)です。色鮮やかなカバー絵は、神戸の風景をテーマにした創作活動で知られる川西英(1894-1965)によるもの。第二会場の入口をモチーフにしています。このカバーの下には、第一会場入口の表紙絵が隠れています。本の中には、風景写真、会場マップ、展示内容など、この博覧会の詳細な記録が載っています。

 

 アメリカ博とはどんな博覧会だったのでしょう。

 当時の阪急沿線案内パンフレットに載っていた見開き広告が、博覧会の展示の中で主だったものを要約していました。

 大まかに言うと、第一会場はホワイトハウス、本館、テレヴィジョン館等の展示館で、歴史から政治、経済、産業、文化、芸術まで、アメリカについて全般的に学ぶ空間。第二会場は、アメリカ名所の野外大パノラマが目玉の遊覧空間といったところでしょうか。

 前述の写真集には、第二会場の野外パノラマの写真がたくさん載っています。ニューヨークやシカゴの大都会風景からナイアガラ、ヨセミテ国立公園などの自然景勝まで、アメリカの名所中の名所の模造に挑んでいます。写真を見るかぎりは、なかなかの出来栄え。これらを巡るとアメリカ旅行気分を味わえそうです。

 

 当時の日本はまだGHQの占領下にありましたから、アメリカという国に国民の関心が集まるのも、もっともだったといえるでしょう。主催の新聞社の宣伝力も相まって、アメリカ博は大いに盛り上がったようです。当初は5月末に終わる予定でしたが、6月11日まで日延べし、入場者は86日間でおよそ200万人にのぼりました。

 

 池田文庫ではこの時の宣伝ポスターも数点所蔵しています。阪急文化アーカイブズで「アメリカ博」検索するとでてきます。インターネットで画像を公開していないものも、池田文庫にお越しいただくと、館内の端末で見ることができますよ。

 

 大阪万博が開かれるまでの暫しの間、池田文庫で70年前の博覧会を振り返ってみませんか。

 

(司書H)

『阪急文化研究年報』第7号を刊行しました

年報7号表紙

『阪急文化研究年報』第7号を刊行しました。

これは学芸員が日頃取り組んでいる調査・研究の成果を発表するものです。

収録内容は次のとおりです。

 

 

・宮井肖佳

「小林一三の目指した文化ネットワークとその意義(六)-書簡から見る五島慶太との交流-」

・仙海義之

「連載(三)「十巻抄」一〇巻(重要文化財)第五巻・第六巻」

・竹田梨紗

「連載(七)逸翁美術館蔵「芦葉会記」(昭和二十二年)」

・正木喜勝

「一九七〇年日本万国博覧会に対する阪急の取り組みとお祭り広場の催し物資料について」

・平成29年度事業報告

 

 

閲覧ご希望の方は池田文庫にお越しいただくか、お近くの公共図書館や大学図書館にお尋ねください。

 

(学芸員Y)

池田文庫の本棚放浪記【第6回】~南座~

 南座が3年弱の改修工事を経て開場しました。11月から始まった顔見世興行は「南座発祥四百年南座新開場記念」と銘うたれています。この400という数字に驚かれた方もいるかもしれません。

 南座の歴史は、いつも歌舞伎の起源とともに語られます。歌舞伎の起源は1603年、京都に現れた出雲の阿国によって演じられたものとされます。以降、四条河原でさかんに興行が行われ、元和年間(1615~1624)に四条鴨川東側に7つの櫓(やぐら)が官許されることになります。その櫓の1つが現在の南座が建っている場所にありました。これが南座のルーツです。

 芝居小屋が林立する四条通りを想像してみて下さい。さぞや賑やかで心浮きたつ風景だったことでしょう。

 しかし、大火などの理由でさらにその数を減らし、明治に入る頃には、2つ。さらに明治年間中に一方がなくなり、御存じのとおり、残ったのは南座ただ1つとなりました。こうした歴史が、南座が日本最古の劇場といわれる所以です。

 

 南座と呼ばれるようになるのは明治中頃からです。それ以前のこの南側の芝居の役者絵、芝居番付、絵看板等の歌舞伎資料も、池田文庫は数多く所蔵しています。これらは阪急文化アーカイブズに目録を収録しており、一部は画像も見られます。

 

 下は、筋書、いわゆる公演プログラム。やはり南座が改築のために長らく休場し、1929(昭和4)年11月末に新装開場したときのものです。表紙に描かれた櫓が誇らしげですね。


 

 

 筋書は、時代によって体裁や内容は変わりますが、配役、あらすじ、解説などが載っています。池田文庫ではおもに大正から平成にかけて、400件弱の南座の筋書を所蔵しています。

 100年ほどの間に発行されたこれら筋書を見渡すと、今では大名跡を継がれている役者さんの初々しい姿に出会うこともあれば、意外なお顔を見かけることも。

 上は1953(昭和28)年12月の筋書から転載したものですが、出演メンバーの中に「市川雷蔵」の名前が見えます。

 八世市川雷蔵は日本映画黄金期の映画スターとしてのイメージが強いですが、スタートは歌舞伎役者からでした。南座へも前名「市川莚蔵」時代からたびたび出演し、この公演時は22才。大映と契約し映画界へ転身するのはこの半年後です。以後、舞台への出演はめったになくなりますが、活躍の場を映画にうつしても、それまでの経験が彼の芝居の土台になっていたことは言うまでもありません。筋書に点々と残る歌舞伎俳優としての足跡に、今なお根強い人気の理由が隠れているかもしれません。

 

さて、筋書の目録は蔵書検索で検索できます。

「南座」で検索しますと逐次刊行物の検索結果の中に「南座 歌舞伎公演」「南座」がでてきます。これは親タイトルです。これをさらにクリックすると各公演の目録の一覧がでてきます。

歌舞伎公演は「南座 歌舞伎公演」、

松竹新喜劇や新派、新国劇など歌舞伎以外の公演は「南座」にぶらさがっています。

もし思い出の公演があれば、その筋書が池田文庫にあるかどうか、試しに探してみてください。

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第5回】~雑誌『暮しの手帖』~

『暮しの手帖』が創刊70周年を迎えたそうです。この機に池田文庫で所蔵している『暮しの手帖』を読んでみることにしました。

『暮しの手帖』といえば、どんなイメージが浮かびますか?

生活の工夫や知恵を指南してくれる家庭的なイメージでしょうか。

藤城清治さんの影絵物語などからくる幻想的なイメージでしょうか。

名物コーナー「商品テスト」で商品を徹底的に検査し、メーカーに檄を飛ばす硬骨の雑誌というイメージでしょうか。

 

 今回手に取ったのは1980年代のもの。自分の最も古い記憶の残っている時代、というのが理由です。

 料理やDIYなどに関する記事は今でも役に立ちそうですが、特に興味を引かれたのは商品テストや買物案内でした。今となっては古い情報ですから、買い物の役に立つわけではありませんが、暮らしの道具や機器の移りかわりをじかに知る資料としては、一見の価値ありです。

 同種の商品を、微に入り細をうがつように比較分析、批評してくれていますので、読むうちに、「そうそう、こういう風に使っていた」「使う時こんなことを思った」など、いろいろな記憶がよみがえってきます。

 たとえば、二槽式洗濯機の洗濯槽から洗濯物をひっぱり出して脱水槽に押しこむときの重み。小学校低学年ごろクラスを席巻していた、いろんな場所が開閉する複雑なしくみの筆箱のことと、それを用もないのにむやみに開け閉めして遊んでいたこと。プリントゴッコでは、製版時にピカッと漏れる光の強さや、最初の刷りあがりを見るときのドキドキ感。

 ともすると場所や周りにいた人、それにまつわる事件など芋づる式に湧いてきて、思いがけない記憶まで掘り起こされました。

 

 暮らしの道具は手をわずらわせない方へ、どんどん進化しています。しかもインターネットとモノがつながって一つの機器を触るだけであらゆるものを動かす時代にさしかかっています。

 その時、その場、指一本で。確かに便利にちがいないですが、記憶が身体の感覚をともなうことでより強く刻まれるとするなら、その刻み具合が、昔とくらべてずいぶん浅くなってしまった気もします。指タップ一つで動かしたモノを、それにまつわる風景を事件を、はたして記憶できるか…まったく自信がもてません。『暮しの手帖』の中で再会した、そこそこ手をわずらわせる道具たちが名残惜しくも感じられたのでした。

 

 さて、池田文庫では『暮しの手帖』を、1948年9月の創刊号から2012年2・3月号までをほぼそろえて所蔵しています。まれに欠号があったりもしますので、詳しい所蔵状況を知りたい方は蔵書検索をご利用ください。

 小林一三も一度、この雑誌に文章をよせています。どんなタイトルで、何年何月号に載っているかを調べられます。気になりましたら、ぜひ一度検索してみてください。

 『暮らしの手帖』ではなく『暮しの手帖』。「ら」抜きです。ご注意を。

 

 

(司書H)

共催展レセプションにて

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現在五島美術館で開催している

「特別展 東西数寄者の審美眼  阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション」では、

開催に先立つ19日にレセプションが開催されました。

当館からも館長の仙海と、担当学芸員Rが参加させて頂きました。

(帰路、新幹線の遅延に遭遇し大変な目にあったようですが)

写真は、レセプションでご挨拶をする直前の、

なぜか直立不動になっている仙海と、

レセプションで振る舞われたお料理の数々です。

学芸員Rによりますと、ケーキがとても美味しかったようです。

五島さんでの展覧会は12月9日(日)まで開催されます。

 

展覧会の情報についてはこちら

 

また、仙海は11月11日に五島美術館において、

「小林一三 コレクションの形成と美術館構想」と題した講演をさせていただく予定です。

普段なかなか関西におこしになれない関東周辺の方や、お近くの方はぜひとも、展覧会で小林一三のコレクションをお楽しみいただければと思います。

 

(学芸員A)

池田文庫の本棚放浪記【第4回】~宝塚歌劇海外公演(2)~

前回に続き、宝塚歌劇海外公演資料のご紹介です。前回についてはこちらをご覧ください。

 

(3)記念アルバム

前回ご紹介したパンフレットは、現地の人に「宝塚歌劇ってこうなんです」と紹介するものでした。それに対し、記念アルバムは、日本のファンに「海外公演はこうでしたよ」と教えてくれるものです。お土産といっていいかもしれません。パンフレットと違い、日本語で書かれています。近年のものは公演写真集というタイトルで刊行されています。

アルバム・写真集というタイトル通り、図版が多いのが特徴です。舞台写真はもちろん、現地を観光するタカラジェンヌの様子も撮影されています。写真以外にも日誌がついており、一行がツアー中にどんな日々を過ごしていたかを追うこともできます。

 

1938(昭和13)年から翌年にかけて、ヨーロッパで初の海外公演が行われたことについては前回触れました。その一行が帰国してまもない1939年4月、今度はアメリカへと別の一団が旅立ちました。下は、その第一回アメリカ公演の様子を教えてくれる公演アルバムです。

 

もちろん現地での公演の様子も掲載されていますが、公演の合間に各地の名所を巡る一行の様子を撮影したものにも、かなりのページを割いています。

船中の様子、ハワイ、サンフランシスコの金門博覧会見物、ヨセミテ渓谷、ハリウッド、列車旅行の様子、ニューヨーク、シカゴ、ポートランド、シアトル … etc.

7月上旬に帰国するまでの3ヶ月間、実にいろいろな場所を訪れています。

 

もちろん公演や観光だけでなく、表敬訪問や、歓迎会への参加、催しや余興への出演、お稽古もあります。一行の忙しくも充実した日々については、巻末の日誌に詳しく記録されています。ニューヨーク行きなんて、旅の最中に決まっているんですよ。

当時、アメリカ本土へは、船で片道2週間はかかりました。一般市民には易々と手の届くものではなかったでしょう。一生に一度、経験できるかどうかの貴重な旅。異国の地で公演する緊張や疲労はもちろんあったでしょうが、写真の中のタカラジェンヌたちは、旅を心から楽しんでいるようにみえます。この本を手に取ったファンも、映画の中でしか見ることのない地に、彼女らが降りたち散策する姿を、まぶしく眺めたのではないでしょうか。

太平洋戦争開戦により、日米が敵対関係になるわずか2年前の出来事でした。

 

 

さて、池田文庫で所蔵している海外公演記念アルバム・写真集にはどのようなものがあるのか。まずは、池田文庫蔵書検索サービスの詳細検索画面をご覧下さい。

請求記号のところに「775-T/Cb-K」~「775-T/Cb-K」と入力し検索すると、一覧が出てきます。

池田文庫では、海外公演記念アルバム・写真集に「775-T/Cb-K」という独自の記号を付与し、整理しています。

公演先の国名で検索しても、うまくヒットしない場合は、この方法でも調べてみてくださいね。

 

 

(司書H)

2018友の会見学旅行は「奈良」でした!

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台風24号の接近におびえつつ、9月29日(土)に2018年度の友の会見学旅行に行ってきました。

朝からあいにくの雨模様でしたが、朝8時15分に池田を出発。台風のせいなのか想像していたよりも遙かに道がすいており、結構早く最初の目的地である大和文華館さんに到着しました。

大和文華館さんは、現在「大和文華館の中国・朝鮮絵画」展を開催されており、まずは都甲学芸員によるスライドレクチャーを受け展示室へ。国宝を始めとする名品を見学させていただきました。

お昼は一度はお伺いしてみたい!と密かに思っていた「奈良ホテル」さんで懐石料理を頂きました。どれもこれも美味しくて幸せな気分に。

時間が足りず奈良ホテルさんの中などを見学できなかったのはちょっと心残り…。

お昼からは今年で創建1250年の春日大社へ。権禰宜の御案内で特別参拝させていただきました。

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ここでお参りさせていただいていいのですか!?というところも上がらせていただきました。

また続く国宝館でも松村主任学芸員にご案内いただきました。突如姿を見せるお鹿さまに少しびくびくしながら春日大社を後にし、最後は西大寺さんへ。

ご本尊へ参拝させていただいた後は、大茶盛の体験です。お茶碗だけじゃなく、その他のお道具もそれに合わせた大きさになっており、すごい迫力でした。

というわけで、今年度は友の会見学旅行では初めて奈良に訪れてみました。お世話になった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

 

阪急文化財団友の会では、年に1度このような見学旅行を行っています。もしご興味がおありの場合は、ぜひご入会してください。

 

(学芸員A)

池田文庫の本棚放浪記【第3回】~宝塚歌劇海外公演(1)~

今秋、宝塚歌劇星組の台湾公演が行われます。梅田芸術劇場を皮切りに、最終的に台湾に持っていく作品の上演も始まっています。そのことにちなみ、今回は宝塚歌劇の海外公演資料についてご紹介したいと思います。

池田文庫で所蔵する宝塚歌劇海外公演関連の資料として、おおまかに次のものがあります。

(1) ポスター

(2) パンフレット

(3) 記念アルバム

そのほかにも、『歌劇』など雑誌類で、当時の関連記事を読むことができますし、海外公演に参加した演者やスタッフが、自身の著作物でそのことに触れている場合もあります。また、池田文庫では関連の新聞記事を切り抜いてスクラップブックを作成してきました。該当年代のものを調べると、その中に関連記事が含まれているかもしれません。スクラップブックはマイクロフィルム化したものを閲覧できます。

 

(1) ポスター

阪急文化アーカイブズで「海外公演」で検索すると、所蔵する海外公演ポスターを見ることができます。ぜひお試しを。

 

(2)パンフレット

現地の観客向けに製作されたパンフレットです。一番の特徴は、やはりその土地の言語で宝塚歌劇について説明されていること。外国語ではそうなるのかと意外性もあって、なかなか面白いです。

「凡爾賽玫瑰 -菲爾遜與瑪麗安托瓦内特篇-」

なんの演目だかわかりますか? (ヒント:2015年台湾で上演された演目)

 

上は、 初の海外公演の際に製作されたパンフレットです。

1938(昭和13)年から翌年にかけて、ドイツ・ポーランド・イタリアの各都市をまわりました。そのため、ドイツ語とイタリア語で書かれています。

表紙は富士山に桜。お約束ですね。掲載されている写真も、ほぼすべて和装姿。いかにも「日本」なイメージでアピールしています。実際にかかった演目もすべて日本物でした。当時、西洋文化圏の人を惹きつけるには、異文化の香りを持ち込むことが一番と考えられたのでしょう。

比べて近年のものは、ことさら日本的なイメージを主張するものではなくなってきました。むしろ、現地でお馴染みの物語を演目に取り入れる試みも行われています。

今度の台湾公演の『Thunderbolt Fantasy東離劍遊紀』も、そもそもは台湾の有名な人形演劇から来ているとか。現地の文化と宝塚歌劇の融合が、台湾の人にどう受け止められるのか気になりますね。

 

池田文庫は全ての海外公演のパンフレットを所蔵しているわけではありません。もし、どの海外公演のパンフレットを所蔵しているか知りたい場合は、蔵書検索サービスで調べてみてください。

宝塚歌劇海外公演」で検索すると、逐次刊行物の検索結果に「宝塚歌劇  海外公演」という親タイトルが出てきます。

 

 

これをクリックすると、下の表示に ↓


 

各公演パンフレットは「宝塚歌劇 海外公演」という親タイトルにぶらさがっている目録構成です。

一部の資料には、閲覧にご予約・ご紹介状が必要な場合もありますので、ご注意くださいね。目録に「要紹介状」と記載されているものがそうです。

 

(3)記念アルバム については、次回ご紹介します。

 

(司書H)