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池田文庫の本棚放浪記【第20回】~大阪の宿~

 外出がままならない日々、積読本の消化に励んでおられる方も多いでしょうか。私もその一人で、ながらくほったらかしにしていた本に手をつけることができました。

 今回はその中から一冊、大阪が舞台の名作として名高い、水上滝太郎著『大阪の宿』をご紹介します。もちろん池田文庫でも所蔵している本です。

 

 著者・水上滝太郎(1887-1940)は東京生まれ。慶應義塾大学卒の、いわゆる三田派と呼ばれる作家のひとりです。作家と会社員の二足のわらじを履き、文学界だけでなく、実業界にも足跡を残した人でした。

 実は『大阪の宿』は、そんな水上の会社員生活がなければ生まれませんでした。大阪に赴任した時の経験がこの作品のルーツになっているからです。

 主人公・三田は、東京から大阪に赴任してきた会社員で、生活の合間に小説を書くという、著者自身を投影したような人物です。

 同じ主人公で『大阪』という作品があるのですが、こちらは来阪早々暮らし始めた下宿屋の話が中心で、最終的にはその下宿屋のがめつさに嫌気がさして出ていくところで終わります。

 『大阪の宿』は、そのあと、三田が土佐堀の川べりにある酔月という旅館を見つけ、新しい住まいに定めるところからはじまります。

 

 『大阪』の下宿屋とくらべて、酔月は三田にとって暮らしやすいところでした。そこで会社勤めと執筆活動の二重生活を送るなか、さまざまな人に出会います。

 相性のよくない人もいますし、苦々しい内実が耳に入ることもあります。裏切りにあったり、厚かましさにあきれたり。したたかでどこか憎めない面々と付き合いながら、三田の大阪暮らしがすすんでゆきます。

 なかでも強烈な個性を放つのが、芸者の蟒(うわばみ)姐さん。酔うと誰彼なく、ものすごい剣幕でコップ酒を強要する、実際酒席にいたら迷惑極まりない人なのですが、反面、裏表のない性格で、読むにつれ物語に清々しい印象を与える不思議な存在になっていきます。

 ときおり差しはさまれる大正時代の水都大阪をうつす美しい風景描写も、この小説の読みどころのひとつです。

 

 さて、『大阪の宿』は現在品切れのようですが、電子書籍など、ご自宅で手に入る方法もあるようです。もしご興味がありましたら、ステイ・ホーム中の読書候補の一冊に加えていただけると幸いです。

小林一三の旧蔵書・逸翁文庫より

 

 余談ですが、慶應卒で実業界にも身を置いていた水上滝太郎。同じく慶應卒の小林一三とのつながりを探ってみたくなりますが、実際交流はあったようです。

 三田派の牙城の文学雑誌『三田文学』の水上滝太郎追悼号、全集の刊行記念号*には文を寄せて、その早逝を惜しみ、また愛読者であることも明かしています。

 特に一読をすすめているのは評論・随筆集の『貝殻追放』。

 一三翁のおすすめにしたがい、こちらもぜひ読んでみなければと思っています。

 

*『三田文学』1940年5月臨時増刊号、10月号

 

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第19回】大正の阪急沿線情報誌~『山容水態』その2~

 前回に続き、大正時代の沿線情報誌『山容水態』についてです。

 前回ご紹介したのは、宝塚線の観光地の魅力を発信する『山容水態』でした。

 ところが、『山容水態』には、観光地のほかにもう一つ、アピールしたいことがあったんです。

 

 箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)は、鉄道経営の一方で、沿線のまちづくりも進めていました。池田室町を皮切りに、建売り住宅の販売を各地で開始します。

 

 土地家屋が売れると、その利益が得られる上、そこで暮らす住人が安定的に鉄道を利用するようになります。成功すれば、鉄道会社が地歩を固めるのに絶好の事業です。

 

 社の命運を握るともいえる事業のPRのため、箕面有馬電気軌道はさまざまな広告物を発行しました。『山容水態』もその一つ。住む場所として、この沿線がいかに魅力的かを伝えること。これこそが、『山容水態』のもう一つの仕事だったんです。

 

 

 気候のよさ、自然環境のよさ、水の清涼さ、都市部へのアクセスのよさ。さまざまな側面からこの沿線で暮らすことの魅力を伝えています。さらに、病院にも不自由しないことなど、郊外生活の不安をとりのぞく説明もあります。

 

 そして、その販売方法も工夫されました。

 

 

 

 当時、土地家屋の月賦販売のアイデアは、きわめて画期的なものでした。

「家賃ほどで家屋敷が買える」

 現在では、住宅ローンで家の購入を考える人が、必ずといっていいほど思い浮かべるフレーズではないでしょうか。その浸透ぶりから、このアイデアが世にあたえたインパクトの大きさがうかがえます。

 

 大正時代にご先祖さまが宝塚線沿線に移り住んだという方、移住の決め手になったのが、この『山容水態』の広告だった、なんてこともあるかもしれません。

 

 

 さて、この『山容水態』、前々回の『ドンブラコ』でも登場し、合わせて3回にわたってご紹介してきました。

 宝塚歌劇、郷土史、阪急の沿線開発事業史など、多方面から注目される資料ですので、よく閲覧の希望が入ります。

 原本は貴重資料ですが、複製を作成しておりますので、そちらでご覧いただけます。

 

 また、掲載記事の索引も作成しています。索引は池田文庫の蔵書検索で検索できます。調べものの際には、ぜひご活用ください。

 

 

 

(司書H)

池田文庫の本棚放浪記【第18回】大正の阪急沿線情報誌『山容水態』その1

 2020年、阪急電鉄は開業110周年を迎えます。明治終盤にはじまり、大正、昭和、平成を越え、そして令和と、時代とともに阪急沿線も変化を続けてきました。

 

 そんな沿線の最新情報を知るには、阪急沿線情報誌が便利です。折々のおすすめスポットやイベント情報を教えてくれる冊子で、現在は『TOKK』というタイトルで、阪急電鉄の各駅で配布されています。

 

 行楽のお供にと、何気なく手にとられたことのある方も多いでしょう。しかし、これが将来、沿線の歴史の情報庫になりうることまで想像しながら読む人は少ないかもしれません。

 

 今回ご紹介する『山容水態』は大正時代の阪急沿線情報誌。まさに、草創期の阪急と当時の沿線について、貴重な情報の宝庫となった例です。月刊のレギュラー版ですと、池田文庫では大正2~5(1913~16)年のものを所蔵しています。この頃はまだ宝塚線のみの運行でしたので、載っている情報は宝塚線沿線のものです。

 

 

 この中では、当時の沿線に存在したレジャー施設が紹介されています。

 

 例えば、箕面公園には自然の渓谷を利用してつくられた箕面動物園がありました。

 

 全国中等学校優勝野球大会(後の全国高等学校野球選手権大会)の第一回・二回が行われた場所として知られているのは、豊中グラウンド。『山容水態』では、アメリカの大学野球チームと日本の大学野球チームが戦う日米野球戦など、国際色あるイベントも度々開催されていたことがわかります。

 

 

 宝塚新温泉(後に宝塚ファミリーランド)では、当時から温泉の他にもさまざまな娯楽設備をそなえて温泉客を楽しませました。そのひとつだった室内水泳場は劇場に転用され、宝塚少女歌劇の公演が行われるようになります。→【第17回】~ドンブラコ~

 図書室もありました。これは後に宝塚文芸図書館、池田文庫へと引き継がれていきます。

 

 また、四季折々の自然美でも行楽客をひきつけようと、さかんに宣伝しました。もちろん当時から、箕面公園は景勝地として宝塚線の観光の目玉の一つ。一方で、松茸狩や宝塚の梅の名所・宝梅園など、今の宝塚線では聞かれなくなったレジャーも目につきます。

 

 

 変わらないものと変わったもの。ぜひ、今の沿線、記憶の中の沿線と比べながら読んでみてください。

 

 『山容水態』は複製資料で御覧いただけます。

 

 さて、このように『山容水態』は、電車の乗客となってくれる観光客を増やすため、観光地としての沿線の魅力を発信していました。

 ところが、この雑誌には、もう一つ大きな目的がありました。それは、沿線の住人を増やすこと。そのために、住む場所としての沿線の魅力を発信していたんです…が、今回はこのあたりで。次回に続きます。

 

 

 

(司書H)